ビハインド・ザ・サン

血糊は黄色く変色するのか


  

ブラジルの映画。
しかし、ブラジルという国は色が違う、空気が違う、そして臭いが違う。見る度に圧倒される。空の青さも、雲の白さも、森の緑も全てが違い、スケールが違う。濃厚にして野放図。何だか上手く表現できないけど、人間も自然も、そして時の流れさえも、何でもそのままの姿でそこにある。

これって一種の西部劇だよね。
土地の所有権を巡っていがみ合う二つの家族。今となってはどちらが悪いのかなんかわからない。とにかく血を血で洗う抗争が、何世代にも渡りそして果てしなく続いている。そこにあるのは土地の所有権ではない。意地とプライド、メンツ(誇り?)に過ぎない。

野生に近いような田舎にも近代化の波は押し寄せてくる。それが印象的。
かつては奴隷を使っていたという作業を一家総出でする。一家といってもたったの4人だけど。
それも何時終わるとも知れず、毎日毎日延々と続く。サトウキビを刈り、運び、圧搾機にかける。その樹液を煮て固め、黒糖を作る。気が遠くなるような、単純で肉体を酷使する作業だ。圧搾機を動かすために、その動力としてひたすら歩かされる牛の歩みが効果的に使われている。
その結果、黒糖を街に持っていくが、機械化が進み、価格は暴落している。何でも機械がする時代になっている。買取人からは「砂糖はもう要らない」とまで言われる。
結局、プライドや命を賭けて守ってきた土地にもう意味が無くなってしまっている。砂糖に意味がないのなら、こんな土地にしがみついている理由がないのだ。存在の根幹が揺すぶられている。

そんなところに別世界から風が吹いてくる。
その誘いに乗るのか乗らないのか、それは自分次第。新しい風は、考え方だけではなく、異性への憧れも。

予告編を観たとき、主人公トーニョはガルシア・ベルナル君だと思い込んでいた。でも、実はロドリゴ・サントロ。初めて観る男、今回の役柄のせいもあるだろうけど、男臭いがかっこいい。今後ブレイク必至。男が惚れる。
また、サーカスの娘クララ(フラヴィア=マルコ・アントニオ)もいい。すごくいい! 最初は蓮っ葉な女だと思っていたけれど、徐々に変わる。
男も女も、真剣勝負。ほんの一瞬の邂逅が一生を決めてしまう。決めさせてしまう何かがあるのか(もちろん映画だから美男美女なんだけど)。

勧善懲悪ではない。誰も悪くないし、良くもない。
ただ、どんな時代でも時の流れは残酷であること、そして自分の進む道を決めるのは自分でしかないことを教えてくれる。今後の二人の幸せを祈らずにはおられない(という意味ではラストにはやや不満が残るなぁ)。

大阪、神戸ではとっくに上映が終わっているのに、京都でレイト上映。ありがとうございます。
新館オープンした京都シネマで「ピエロの赤い鼻」と続けて拝見しました。かつての朝日会館と同じようなスクリーンの大きさにはちょっとびっくり(がっかり)。それに、カウンターにいる従業員の方(きっとアルバイトだと思うけど)の態度にもびっくり。ここでは映画は観るのではなく「観させていただく」らしい。チケットも「(お願いして)売っていただく・買わせていただく」ものらしい。別に「金を払うのはこっちやで」と思っているわけではないけれど、あの態度はないでしょう! アルバイトへの教育や指導ということではなく、この映画館のスタンスなんだと思う。正直がっかりした。不愉快を通り過ぎていた。もう二度とここでは映画を観たくない!

おしまい。