少女ヘジャル

抑えた演出、抑えた演技が胸に迫る


  

観よう観ようと思っている間に、あっと言う間に上映期間が終了してしまい、どうしようもなく指をくわえたまま観逃してしまうことは少なくない。それでも、その観逃してしまった作品の評価が高かったり、話題になればそう遠くない時期にスクリーンで出会えるチャンスは必ずあるものです。そのスクリーンは映画館ではないかもしれないけれど。
関西に住んでいてありがたいと思うことは、いわゆる単館系の作品が大阪・神戸・京都で公開の時期が微妙にズレていることでしょうか。時としては月単位で違うこともある。これは本当に助かります。ありがたいことです。

で、この日。京都のみなみ会館で拝見したのはトルコの作品「少女ヘジャル」。大阪ではナナゲイでの公開でした。それを観逃していたボクにとって、とっても嬉しいことでした。朝の10時20分からたった一回だけの上映だけど、もう一度チャンスをいただけたことに感謝です。
トルコ東部からイラン・イラク北部に連なる山岳地帯。ここに住む民族をクルド人と呼ぶ。独自の文化と言語を持つ民族だけど、政治力の関係でこの民族は幾つかの国に分かれている。そして、たびたび映画の題材として取り上げられている。「酔っぱらった馬の時間」「わが故郷の歌」「遙かなるクルディスタン」「ブラックボード」などが、このクルド人を取り上げている映画だ。いずれも、胸を打つ作品なのでチャンスがあれば是非どうぞ。しかも、ナショナリズムの高揚や政治的プロパガンダを声高に叫んでいるのではないだけに、余計にこの問題の根深さを感じずにはおれない。 この「少女ヘジャル」も同じ、ただ、この映画を観る前にクルド人がどんな立場に置かれている民族なのかを、背景として前もって知っておけば、より理解が深まるでしょう。

恐らく舞台はイスタンブール。静かな高級住宅地。そこにあるマンションの一室。
年老いた男が幼い少女の手を引いて訪ねてくる。しばらくこの子を預かれないかと。押し問答があったが、この部屋の住人は彼女を渋々(?)預かることを承知する。そしていきなり事件は起こる。武装した警官隊がこの部屋を急襲、問答無用でこの部屋の住民をマシンガンで射殺してしまう。預けられていた少女は書架の引き戸の中に隠れて難を逃れるのだが...。
その部屋の向かいの部屋には裁判所の判事を引退した老人が一人で住んでいた。妻に先立たれ、通いの家政婦が何かと世話を焼いてくれている。そのルファトの部屋に難を逃れた少女がこっそりとやって来た。一晩だけのつもりでルファトは彼女を匿うことにする。
ルファトのこの行動は、法治国家の番人として勤めた自分の目と鼻の先で、国家権力が暴力で解決してしまうことに対する苛立ちを隠せなかったことと、いたいけな少女の面影に連絡を寄越さない自分の息子(や孫?)の姿がダブったからだろう。
事件の後、処理に来た刑事から「何かあったらこの番号に」と渡された電話番号を大切に持ち歩いている。

この映画のテーマは、人間の倫理的なものと、もっと自然な人間的な愛情や触れ合いのせめぎ合いだろう。職業上、まっとうに生きてきたルファトは、たとえかわいくていとおしい少女であっても、法にのっとって判断しなければならないと考える。自分のために法を曲げたりでは出来ない。しかし、その思いは少女を前にしてどんどん揺らいでいく。
そしてもう一つ。ルファトの前に横たわるのは民族問題。マンションのお向かいに住んでいたのは、単なる弁護士ではなく分裂派(クルド人の国家を建設するための活動家?)のメンバーであったことがわかる。そして、この少女はクルド人なのだ。
軍人である息子はこの問題の解決のために紛争地帯へ派遣されている(ようだ)。クルド人とはルファトにとっては、ある意味憎むべき存在。たとえ、事件に巻き込まれ身寄りのない少女であっても、クルド人のために自分が一肌脱ぐつもりは「ない」はずだったのだが...。

この映画の素晴らしい点は、凄く丁寧に作られていること。そして、最初の襲撃シーンを除けば、全く劇的なことが起こらないこと。
普通の生活を送っていれば、日々はとても細かいことの積み重ねであり、ある意味果てしなく同じことの繰り返し。ましてや引退してしまった身であれば、余計に事件は起こらない。でも、生活の中では細かいことが積み重なって、時として特別なことが起こるのだ。そのきっかけや背景をとても上手に捉えている。
刑事の電話番号、付き合いが長い家政婦、おせっかいが過ぎるけれど愛情があふれる階下の老婦人...。そしてルファトの平穏な毎日に闖入してきた少女。
それまでの生活が平穏であっただけに、心の揺れが手にとるように伝わってくる。良き国民として、法の下で裁くべきなのか、その結果この少女がどのような境遇に置かれるのか、考えるまでもなくルファトにはわかる。自分が果たすべき役割はいったい何なのか、悩み苦しむのだ。
その心の動きや揺れが手にとるように観ているこちらに伝わってくる。

しかし、最後の結末は...。ある意味残酷なものだ。
いやはや、人生とは、人間とは、子供とは、こんなものなのかもしれない。

しみじみ心に響く佳作です。最近すっかり涙腺が緩くなっているボクは、思わずはらっとしてしまいました。万難を排してとは申しません。しかし、チャンスがあればご覧になってソンはないでしょう。
みなみ会館での上映も終わってしまいました。次回はいつどんな形で上映されるのかはわかりませんが、きっとそう遠くない時期にどこかで上映されることがあるはずです。
不思議なことに、このヘジャル、ちっともかわいくない。特に冒頭は表情が死んでいて「あれ」っとさえ思うほど。でも、お話しが進むにつれて、どんどん表情が良くなる。どういう順で撮影されたのかは存じませんが、なかなか上手ですね、感心しました。

アジアと欧州の交差点と呼ばれるトルコ、イスタンブール。いつかはこの街を歩いてみたい。その思いが強くなりました。

おしまい。