クリーン/Clean

唄はあかんで


  

昨年のカンヌは驚きだった。まさにアジアがカンヌを席巻した。
まず、韓国の「オールドボーイ」がグランプリ。そして「誰も知らない」の柳楽優弥が最優秀男優賞を受賞。それ以前に予告編は見ていたけれど、こんな大きい国際的な賞をもらうとは思っていなかったので、本当にびっくりした。
でも、昨年のカンヌで最優秀女優賞を受賞したのがアジアの女優さんだと知っていましたか?

ボクはこの作品を観る機会に恵まれるとは思っていなかった。いつか香港へ行った折にDVDを買い、それを見ることになるだろうなと。
それが年末に“この「クリーン」が上映されるらしい、しかも大阪で”という噂を耳にして、自分でも確認してみると動物園前のシネフェスタで日仏学院主催の特集上映(「オリヴィエ・アサイヤスへのオマージュ」)が組まれ、その一環で確かに「クリーン」の上映予定があるではないか! これこそチャンス!

良くも悪くも,マギーチャンの映画。
本当に惚れ惚れするような女優さん。広東語、普通話(北京語)はもちろん、英語もフランス語もOKなんや。素直に尊敬してしまうなぁ。

お話しは簡単だ。
ドラッグ中毒の母親が、夫であるロックギタリストをドラッグ中毒で死なせてしまう。夫の両親に預けてある息子と暮らすためには自分自身がドラッグから抜け出さなければならない。そのドラッグから抜け出す行為こそが、タイトルにもなっているクリーンなんですね。息子を取るのか、ドラッグなのか、それとも自分自身なのか。主人公にもわからない。
そんな心の葛藤がこの作品です。

母親は無条件に息子を愛するものなのだろうか?
そんな当たり前のことがアタマをよぎる。昨今の日本では、子供を愛せない親があふれている。そんな事件が報道されない週がないほど。そんな記事に囲まれているこちらとしては、感覚が麻痺している。

とにかく説明が極端に少ない。
エミリー(マギーチャン)がどういう女性なのか、それはおいおいぼんやりと解明されたいくのだけれど、克明に過去は振り返らない。そんなふうにさっぱり要領を得ないままに、どんどん物語りは進んでしまう。
そして気が付く。エミリーは今日しか見ていないのかと。過去を振り返って思い出に浸ったり、未来を想像して今日を過ごしたりはしない。昨日は過ぎ去りしもので、明日には違う風が吹く。何も今だけの快楽主義ではない。ただ今を自分に忠実にエミリーは生きているのだと。
だから、いつか息子と一緒に生活するために、今を犠牲にして何かに取り組む(ドラックを止めるとか定職を得るとか)のは彼女にとっては苦痛以外の何者でもない。 なのに、そこまでして手に入れたい。親子の絆を。
そんなエミリーの葛藤が、切ないまでに心に迫ってくる。

が、このお話しがいわゆる「いいお話し」だとか「感動するお話し」かというと、そんなことはない。
結局、人間は弱いものなのだ。そして有る意味子供は残酷である。また、この映画は説明を省いているだけではなく「説明が下手」だとわかってしまう。

どうして、息子は祖父母を裏切ってまでエミリーとサンフランシスコへ行くことに同意したのか。
最後に見せたエミリーの満ち足りた清々しい笑顔は...。

もう一つ注文を付けるとしたら、マギーチャンに歌わせるのはちょっと無理があったような...。

一般の劇場公開はどうでしょう。ちょっと難しいかな。
この日のシネフェスタはかなりの入り。びっくりしました。外人さん(フランス人?)も多くて、ボクのお隣には、目を剥くような美しいお嬢さんが座られました!
この「クリーン」もマギーチャン目当ての中華迷よりも、フランス関係の方のほうがずっと多かったようです。ちょっとね、全身から醸し出される空気が違いました。映画が始まる前のトークは不必要だったように思います。

とにかく、カンヌでの最優秀女優賞おめでとう!

おしまい。