世界でいちばん不運で幸せな私

Cap ou pas cap?


  

ちょっと変わった不思議なお話し。
ドロっとせずにあっさり描かれているから助かるけれど、映画を観終ってからこうして振り返るとなんだか割り切れなさを感じる。もっと素直に選択して生きればいいのに。それとも、本当に大事なものは大事にしすぎて見失ってしまうということを伝えたかったのだろうか?

主人公は幼馴染。ジュリアンはタウンハウスに住む男の子、ソフィーは公営アパートに住むポーランドから移民してきた両親の娘。ふとしたことがきっかけで二人は打ち解け、たちまち仲良くなる。
ジュリアンが病弱の母親から与えられ宝物にしていたカンカンで出来たメリーゴーランドの貸し借りをするうちに、そのカンカンを持っていない方が何か奇抜なことをしでかし、その奇抜さを競うようになる、それが大人や周囲に影響を与えると賭けに勝ち、カンカンを得ることが出来るという仕組み(なんだか上手く説明出来ないけれど)。
“のる?のらない?(Cap ou pas cap?)”というのがその賭けを行うときの合言葉。
しかし、その賭けは次第にエスカレートし、ジュリアンの父親は激怒し、ソフィーと合うことさえ禁じてしまう。だが、ジュリアンの母親が亡くなった晩、父親はジュリアンのためにソフィーを家に招く...。

そんなこんなでいつしか二人は成長して高校生になった。相変わらず勉強はそっちのけで「のる?のらない?」の賭けに興じる二人だが、ジュリアンは現実に直面する。遊んでばかりもいられない。大学へ進学するために真面目に勉強に取り組まなければならない。図書館にこもって勉強をはじめるジュリアン。いつしかソフィーとの中も疎遠になってしまう。
そして数年、住む世界が違ってしまった二人。ソフィーが勤めるカフェにジュリアンが訪ねて来る...。

子供時代の二人がとてもかわいい。世の中の全ての子供がこんなにかわいかったら、世界は随分変わるだろうな。こんなにかわいかったら、何でも許されてしまう(そんなこともないか)。
そして、大人になってからもなかなかいい感じの二人。特にマリオン・コティヤール(ソフィー)がいいねぇ。何とも言えずチャーミングで小悪魔的な魅力を振り撒いてくれる。
結局、人間はすぐ目の前にぶら下がっている幸せにはなかなか気が付かない。随分遠回りをして、それからようやく気が付く。いや、たとえ遠回りをしようとも気が付いた二人はまだ幸せなのかもしれない。きっと多くの人は気付きもしないのでしょう。

もう一つ感じるのは、フランス人の恋愛感とボクの持っている恋愛感の違いでしょうか。
そんな大袈裟なことではなく、幸せに対してもっと貪欲になってもいいのに、この二人の関係はどうも掴みどころが無く、ちょっと突き放したふうにクール。なのに、或る意味粘っこい。不思議な関係。
もし、この映画がアメリカのお話しであれば、二人は高校を卒業した段階で結婚してしまうか、ジュリアンが進学を選び勉強をはじめた段階ですっぱり別れていたように思う(それはそれで、映画のストーリーにもならないけどね)。

素敵なお話しだとは思うけど、映画を観ながらボクの心に芽生える小さな違和感。それが次第に棘となり大きくなってしまい、素直に受け取れなかった。
ラストもどうもなぁ。こんな形で終わってしまってもいいのでしょうか? ひょっとしたら、恋する二人が観ると、とってもロマンチックなエンディングなのかもしれないけどね。ヒネたおっさんが観る映画ではないのか!

この日はクリスマスを目前に控えた祝日。三宮一帯はびっくりするほどの人出でした。それにシネ・リーブル神戸はルミナリエの会場からそう遠くなく、道にも人があふれていました。その割には映画館の中は静まり返っていたけどね。
ふと素朴に思ってしまうのだけど、大丸の近くのこの場所に映画館があるって知っている人がどれくらいいるのかなぁ?

おしまい。