アルツハイマー・ケース(仮題)

BMWのドアを開けるときには、要注意


  

続いて大阪ヨーロッパ映画際。前回運営についてけなしたけれど、懲りずにもう一回お邪魔する。
この日は連休の合間で会場も海遊館ホールではなく、WTCホール。平日だったからか、会場の特性からか、時間ギリギリに飛び込んだけれど、半分ほどの入りかな。ここは「映画も上映できる」という程度のホールで、段差がないフラットなホールなので、席によってはかなり見づらい。まぁ仕方ないかな。
上映前に主役の男優ヤン・デクレールさんが来日されおり挨拶された、上映終了後にはサイン会もあるというサービスぶりにはちょっと驚きましたね。

ほとんど予備知識を持たずに拝見しました。
面白さと、ちょっとなぁという思いが半々かな。簡単に説明すると「メメント」のような作品(但し「メメント」のようなインパクトはないけどね)。
このところ、ボクが自分自身の“老い”というか“衰え”を感じることが相次いでいるので、このアルツハイマーというテーマが、ちょっと重いなぁ。
サスペンスの部分とアルツハイマーの部分が上手く噛み合ってないような気がする。そこに来て、警察内部の軋轢や少女売春なども入ってきて、そこも消化不良かな。ただ、このヤン・デクレール(レダ役)の演技はさすがに重厚感がある。伊達に歳を重ねているだけではない、と思わせた。

ヨーロッパをまたにかけて活躍する殺し屋レダが主人公。
ただ、自分の歳を考えてもう引退してもいいかなと考えている。そんな折、エージェントから新たな以来が入る。最初は断ろうとするが「この仕事に引退はない」と迫られ受けることにする。そして、彼はアントワープに行く。
(しかし、アントワープとはなんとエキゾチックな街の響きだろう。一度行ってみたいな)

この殺し屋、引退を考えるだけあって、そこそこの高齢者。そして自分がアルツハイマーの症状が進んでいることを認識している。また、この街はレダが生まれ育った想い出の場所だったのだ。その彼の病状がベースにある。
そして、レダが持つ「殺しの倫理観」、殺人事件を追うエリート刑事、さらに彼が請け負った殺しの背景に潜む陰謀。これらがこの映画を織りなしていく。

確かにカラー映画だったけれど、ボクの記憶の中で再現されるこの映画は色彩を失いモノクロで再現される。それだけ地味だったのだろうか、それとも...。
殺し屋とアルツハイマーという、一見相反するように見えるテーマがそれなりに処理されているけれど、ドキドキ感や高揚感には欠ける(いや、全くなく平板でさえある)。この映画をジャンルで分けるとしたらどうなるのだろう、ふとそんなことを考えた。
それに主人公のレダがアルツハイマーを患っている必然性が全く感じられないように思えた。確かに渋い作品だったけど、楽しめたかどうかはちょっと疑問だ。劇場公開された場合、興業的に成功するかも、いささか疑問。
大々的にオススメ出来る映画ではないかもしれない、記憶の片隅にとどめておくような佳作。

大阪で開催される映画祭は本当に少ないので、来年の12回目以降も頑張って開催していただきたいですね。
ただし、運営面ではもっと一般の参加者(観客)の立場に立っての再考をお願いします。単に主催者が都合が良いからというだけでは困りますね。「あぁ本当に来て良かった」と誰もが思えるような映画祭になるようお願いします。

おしまい。