誰も知らない

深々とつくタメイキのワケは...


  

公開されてから随分日が過ぎているのに、引き続き上映されている。
落ち着いてから観に行こうと思っていた。お客さんの入りは落ち付いてきても、今度はなかなかボクが落ち着かない。で、ようやく拝見してきました。
箕面に昨年(やったかな?)出来た新しいシネコン「109 CHINEMAS 箕面」。もちろん初めて行くスクリーン。最近出来たばかりだけあって、なにより綺麗。そして適度な段差があり観やすい。まぁ、100名ほどのスクリーンに9名なら、どんなシートアレンジでも観にくいわけはないねんけど...。ここでは「誰も知らない」は朝10:20から一回のみ上映。

帰りのクルマの中、なんだか打ちのめされて、心が重かった。
すっきりするとかハッピーになるとは程遠い作品。かと言って、面白くないかと聞かれると、そうではない。見応えのある映画(まぁ、面白くはないかもしれないけれど)。
まだ、ご覧になっていない方は是非一度ご覧下さい。おすすめ。
カンヌで主演男優賞を受賞した柳楽優弥くんだけではなく、子役がね、みんなとてもいい。特に韓英恵と北浦愛は今後にも期待したいですね。

都会の街中はある意味ジャングルと同じだし、住宅地は密閉されたカプセルが無数に並んでいるようなものなのかもしれない。そのカプセルは外部との交流が遮断さても何とか生きていける不思議な構造をしている。
ジャングルには、盲点となる死角が幾らでもある。そこで生きるヒトは、自分が通いなれた径しか知らないし、見たくないものには目もやらない。こんなに大勢のヒトが生きているのに。

東京モノレールの駅に程近い住宅街。マンションに母親けい子(YOU)とあきら(柳楽優弥)が引っ越してくる。
それだけ見ればなんでもないシーンだけど、引越し荷物の中にある二つのスーツケースにはそれぞれ幼い子供(しげるとゆき)が隠れていた。荷物が落ち着いてから、あきらは駅まで妹の京子(北浦愛)を迎えに行く。
この母親、それぞれ父親が違う子供を4人産み、育てている。ただ、幼い子供がいると入れる部屋が限られるので、子供は小6のあきらだけということにしてこのマンションに部屋を借りる。
こうして、親子5人、このマンションでの「奇妙な生活」が始まる。
ここでの約束は、あきら以外は外にもベランダにも出ない、大声で叫ばないこと。このマンションの一室というカプセルで、ひっそりと息を殺して生きていく。子供たちは学校へも幼稚園にも行かない。いや、行けないのか。

このストーリーのベースは、東京で実際にあった事件らしい。

なんともやりきれない雰囲気の中で物語りは進んで行く。
あきらは母親が勤めに出ている間に買物をし、京子は洗濯機を回し干す。幼い二人は大人しく遊んでいる。これだけなら、さして問題はない。
ところが、母親が家を空けがちになり、そしてとうとう戻らなくなる「あきら、よろしくね」というメモと幾らかのお金を置いて。

家事をこなしながらその合間に勉強をするあきらの姿がいじらしい。これぐいらいの年の子は誰だって勉強はしたくないし、宿題を広げたくないものだ(と思う)。それなのに、あきらは自らドリルを開き辞書を引く。京子も母親に迫る「いつになったら学校へ行けるの?」と。
下を見て「(それよりも)自分はマシだ」と満足することは、あまりいいことではないけれど、それでも画面を観ながら「自分はなんと恵まれていたことか」と思わずにはいられない。
学校に行きたい、勉強もしたい、そして友達と遊びたい。これらは、ごくごく普通の子供が持つ欲求なのだ。
内向的で、あまりものを言わない京子の姿が悲しい。悲しすぎる。次第に目に生気がなくなり、膝を抱えてうつむいてばかり、そして押入れの中に引きこもってしまう。心の中に芽生えていた「夢」がついえ、そしてこころがパチンと弾けてしまった、もう灯りすら見出せない。

周囲の他の大人はどうしたんだ、と思う。コンビニのバイトたちや店長、あきらの友だちの親や同じマンションに住む人たち。
でも、ボクは大きな声でこの大人たちを非難できない。ボクだって、このジャングルの中で面倒は背負いたくない。出来れば見たくないものには目をそむけ、見ずに済ませたいと思っているのだから。
それに引き換え、あきらと京子の健気ながんばりには素直に頭が下がる思いです。この二人が幼い弟妹を思いやるしぐさや視線には、もうとうの昔になくしてしまったと思っていた、長男としての責任感を感じました。

不思議な存在は紗希(韓英恵)。
あきらとは高架下の自転車置き場で偶然出会う。そして、学校へ行かずに時間を潰していた公園であきらたちと仲良くなる。あきらたちのカプセルに唯一外から入って来た。でも、彼女も何も出来ない。彼女自身が心に傷を負い、救いを求めているんだから仕方ない。
彼女の真っ白なセーラー服、ソックス、磨かれたローファーそしてオートロックつきの瀟洒なマンションが印象的。

この映画は入念に印象に残るカットが組み込まれている。
京子の指に母親が塗ったマニキュア。その赤がほとんど剥げてしまったのに、母親は帰らない。
カップヌードルのカップに植えた雑草がベランダから落ち、地面に当たりグシャっと潰れる。まるでゆきちゃんがイスから落ちたときを思わすようだった。
お年玉のポチ袋に書かれた筆跡が違う自分の名前。
あきらの白いスニーカーがどんどん薄汚れていく。
あきらが校庭で少年野球に興じ、グローブを眩しそうにさする。満ち足りた気分で部屋に戻ったあきらが目にしたものは...。
思い返すだけでも、胸が痛み重くなる。

今、新聞の社会面に、誰かが事故で死んだり、殺されてしまった記事が載っていない日はない。
こちらも連日報道されるセンセーショナルな事件にすっかり慣れっこになってしまい、感覚が麻痺している。そして、日々の記事は記憶の彼方に押しやられてしまう。
今、ボクが生きているこの社会は異常なのか? ヒトがいとも簡単に命を落としたり、奪われたりしている。それも、ほんの些細な出来事が原因で。
麻痺しているのではなく、ボクの心が忌避しているのかもしれない。
ボクの命だって、いつどんなことで無くなってしまうかもしれない。それに、奪う側になってしまうかもしれない。

問題提議なのか、それとも警鐘を鳴らしてくれたのか。
ボクはただ深々とタメイキをつくしかない。