地球で最後の二人

ちょっと意味がわからない


  

この映画を観ながら少し心配になったのは「浅野君、出る映画を選ばないと枯れちゃうよ」ってこと。何もこの映画が悪いわけではないけれど、ちょっと出すぎじゃないか。嫌いな役者さんではないだけに、少し心配。
ボクは白井くんを演じる浅野忠信が好きやねんけどねぁ...。

あまりよく意味がわからない映画だった。
どういう理由かわからないけれど、バンコクへ来ているケンジ(浅野忠信)。バンコクにある日泰交流協会のような組織の日本語図書室で働いている(お手伝いしている?)。彼自身、病的に綺麗好きで几帳面な性格のようだ。そして、何故か思い悩んだ結果、まさに首を吊ろうとしたその時、ヤクザな兄貴が彼の部屋にやって来る。
この映画のさっぱりしたところは、“それ以前”がすっぱり切り取られ、ほとんど何の説明もしていないところだろう。ケンジが日本で何をしていたのか、バンコクで何をしていたのか、さらりとも描かれていないし、彼女に関してもあっさりしている。あるのは、描かれるのは“今”だけ。

それは、それでいいのかもしれないけれど、もはや若い感覚には付いていけないボクには、ちびっと違和感が残る。
偶然が重なった二人の出会い、束の間の不思議な生活、そして別れ。画面では表現されているけれど、ボクの心の中には響いてくるものがない。

こうやって観ると、浅野忠信という人は、喋らなくても芝居が出来る不思議な俳優さんなんだな、と改めて思う。画面に映っているだけで、何故かミステリアスな雰囲気を漂わせることができる。

どうでもいいことだけど、彼女の家。
部屋の中を綺麗に掃除するだけではなく、プールも泳げるようにして欲しかったな。出来れば「ビフォー・アフター」みたいに外観も含めて全てをピカピカにしてくれたら良かったのに。そしたら、訪ねて来た元彼も「あれ、家を間違えたかな?」って引き返してしまったかも。
クルマに乗って掃除道具などを買出しに行く場面だけは、妙なリアリティがあったのにな。それだけだった。

全体の雰囲気と、日本のヤクザが絡む部分が妙に噛み合っていなくて安っぽくなってしまっていた。それとも、タイ人の監督が持っている日本のヤクザに対する印象はこんなものなんだろうか?

ラストの大阪でのカットは明らかに蛇足でしょ。これで、この映画の意味がますますわからなくなってしまった。

平日の午前中の回。両手で余る程度の入り。 前にも苦言を呈したけれど、ここシネ・アミューズは映画を楽しむための劇場だとはとても思えない。低い天井からは凄い圧迫感を受けるし、意味不明の原色の照明はチカチカして苦しい。そして何よりも、どこに座ってもスクリーンをまともに観られないシートレイアウトは致命的。
この日、となりで上映されていたのは「誰もしらない」。夕方の回まで売り切れていた。ご愁傷さま。ここで満席なら悲惨と言うしかない。もう二度と映画館で映画を観ようとは思わないだろう。
そろそろ、映画館を選んで映画を観るべきなのかもしれない。

おしまい。