堕天使のパスポート

救いがない


  

「アメリ」のオドレイ・トトゥの主演作。
しかし、彼女はいつまで「アメリの〜」という形容詞が付くんだろう?
「愛してる、愛してない」「スパニッシュ・アパートメント」なんかにも出ているけど、やっぱり「アメリ」のイメージが飛び抜けているんだろうな、特に日本では。見た目と実際のギャップを上手く演じられる女優さんだと思います。今回もそんなギャップを出してくれてます。

救いがないストーリー、だから観ていて、決して楽しくない、と最初に断っておきます。

日本は難民の受入に凄く消極的だし、バブルの崩壊後、出稼ぎで来ている外国人労働者の方もうんと減った。実際問題としてボクらの目に触れる外国人はそんなに多くない(と思う)。だからこの映画で描かれる世界は比較的縁遠く、お話しの中の世界という受け止め方をしてしまう。
だけど、地球上にはさまざまな切迫した理由から国を捨てざるをえない人が少なくないのだろう。そんな難民の方をボクは“今日の問題”として捉えることが出来ない。これは幸せなことなのかそれとも不幸なのか...。

現代のロンドンが舞台。街角にあるバルティックホテル。ここで夜間のフロントとして働くオクウェ(キュイテル・イジョフォー)。彼はメイドとしてこのホテルに勤めるトルコ人のシェナイ(オドレイ・トトゥ)の部屋に転がり込んでいる。細かい情景の説明は一切抜きで映画はどんどん進行していく。
導入部分はかなり端折って突っ走るが、それ以降は丁寧に描かれる。オクウェの性格や人格は、彼を取り囲む人たちからの証言で、次第に明確に浮かび上がって来る。仕事仲間のドアマン、娼婦、タクシー仲間、モルグの中国人。
一方、シェナイがどういう人物なのか、その描写は稀薄なまま。ただ、潔癖な性格が垣間見られる。彼女は、彼女自身の性格うんぬんよりも、過酷な運命に翻弄される姿が切なく描写されている。

オクウェはある晩、詰まったトイレから切り取られ捨てられた心臓を見つける。普通、動揺するよね。いや、腰を抜かすか。そして、このホテルの客室を舞台にして行われている事実を知る。
「虫歯を抜くのと同じ」だそうだ。虫歯と引き換えにパスポートを手にすることが出来る。そんな簡単なことで、出入国管理官の急襲に怯える日々からもオサラバ出来る。まるで夢のような取引。臓器移植手術を待つ患者さんは喜び、提供者は自由へのパスポートを手にする、そして仲介者にはカネ。

それにしても、どうしてアメリカ、しかもニューヨークは憧れの地なんだろう。単なる猥雑な街にしか過ぎないのに(もっとも、行ったことないけどね)。恐らくニューヨークは言葉としての憧れの象徴なのでしょう。別にニューヨークには固執しない。現状から抜け出させてくれて、自由を自分に与えてくれれば、どこだっていい。きっとそうだろう。
で、その自由の象徴を手に入れるために、シェナイが選んだ(選ばざる得なかった?)方法は...。

繰り返すけど、それにしても、救いがないストーリー。
その割には、テーマに対する踏み込みが浅いような気がする。ボクにはシェナイがそこまで切迫しているように見えなかったし、どうしてロンドンでは駄目でニューヨークなのか。それがよくわからなかった。だから、ちょっとこのストーリーに素直に共感出来ない。いっそ、途中で出てくるアフリカからの難民の家族の方によっぽど同情してしまう。
さらにもう一つ、とっても基本的なことだけど、オクウェとシェナイの禁欲的な関係そのもののがわからない。必然性が全く感じられない。同居に至るまでに何かあったんだろう。それを匂わすセリフが入るだけで解決するのに! そうしないと、オクウェは単に人がいい黒人のお兄さんにしか過ぎないょ。

難民という、大きくて重いテーマに、臓器移植という意外性があるけどこれまた大きいエピソードをかぶせ、その二つが噛み合っていないわけじゃないけど、上手く消化出来ていない。
映画を観ながら考えていたのは別のこと。このオドレイ・トトゥ。若さを失ってもスクリーンで活躍できるのだろうか? 彼女自身、今後の脱皮が必要かもしれないな。

大阪でも近日中に公開されるはずです。重いテーマですが、オドレイ・トトゥのファンの方はご覧になられてもいいかもしれません。

次回は、かわいいフランス映画「ぼくセザール〜」です。

おしまい。