バレエ・カンパニー

華麗な舞台の裏側は...


  

何を隠そう、バレエが結構好きだ。
今までスクリーンで観ているだけなので、一度ナマで舞台を拝見してみたい。

ボクがバレエと聞いて連想するのは、その華やかな舞台ということになるが、映画で取り上げられるのは、その舞台の裏側にある世界。先日観た「ペジャール、バレエ、ルミエール」でもそうだったし、以前観た「エトワール」もそう。そして今回の「バレエ・カンパニー」もあの華麗な舞台に至るまでを詳細に追っている。そして、そこにドラマがある。

まず思うのは、ダンサー(バレリーナ?)は演出家が自分の芸術を表現する手法なり駒なりの一つにしか過ぎないと言うこと。彼らに求めているのは個性ではなく、どれだけ自分のイメージ通り動いてくれるのか、その一点だけ。
まさに弱肉強食、虎視眈々とバックアップのダンサーが役を狙っている。演出家が主役に稽古をつけているその後ろで、自らも身体を動かしながら一言も聞き漏らすまいと控えている。そして、何かの拍子に声が掛かったら、その役をそつなくこなしてしまう。
公演中に負傷し踊れなくなったダンサーは衣装を引き剥がされ、代役によって何事もなかったように舞台は続いていく。
中でも衝撃的なのは、稽古中にプツンと音がして腱が切れてしまうダンサー。その瞬間から、演出家は彼女に対する興味はない。次のダンサーが踊れるかどうかだけに焦点が合っている。
恐ろしいような気もする。だけど、これがプロの世界なのだろう。何があっても舞台に穴は空けられないし、公演を行わなければならない。そして、すぐ代役が同レベルかそれ以上に演じてしまう層の厚さこそが、そのバレエ団の実力の証左になる。

結局、こちらは息を呑んで画面を観つづけるしかない。
主演の女の子ライ(ネーヴ・キャンベル)と、ジョシュ(ジェームズ・フランコ)の恋物語りは、味付け以下の小さいエピソードにしか見えないから不思議。ダンサーも人間だから舞台やバレエ以外の生活でいろんなことがある。でも、団員の誰にとっても大切なのは、理不尽とも思える演出家の要求に応える演技をすることだ。それを皆が充分理解しているところが凄い。
全身全霊を捧げても、アクシデントや運不運でどうなるかもわからない。それに永年バレエ団に貢献してきたヴェテラン・トップ・ダンサーであってもいつどうなるかわからない。

こんな世界なんだなぁ。
もうおっちゃんになってしまったボクにとっては、ただ眺めているだけの別世界。だけど、この世界に飛び込みたくて、夢を掴みたくて仕方がない若者がたくさんいるのだろう。その気持ちがわからないわけではない。
きっとその場に身を置かないと得られない、何物にも代えることが出来ない魅力があるのだろう。

プロデューサーのような立場でバレエ団の全権を握っている“Mr. A”(マルコム・マクダウェル)。見ようによっては気まぐれで調子のいい“独裁者”だ。その点は「ペジャール、バレエ、ルミエール」のペジャールと全く同じ。しかし、彼がいなければこのバレエ団が成り立たない。それほどのカリスマ的存在。でも、何故か「ロッキー」シリーズでトレーナーを務めていたミッキー(バージェス・メレディス)に見えて仕方なかったのはボクだけでしょうかね。

ただただ圧倒されっぱなしのうちに、映画は終わる。
バレエに少しでも興味がある方は必見。だけど、そうではない方には、意外と退屈な作品かも。でも、興味がない人も、ちょっと覗き見って感じでご覧になってください。今まで知らなかった世界が広がりますよ!

大阪ではOS劇場C・A・Pなどで公開されるようです。
日曜日の10時前にもかかわらず、半分以上の入りとは立派。どういう巡りあわせだったのか、今までシャンテシネでは地下のスクリーンばかりだったのだけど、今回は4階のスクリーン。ここは地下とは全然設備や空間が違う! 
ちょっとだけ見直しました。

次回は続けてシャンテシネの2階のスクリーン(ここは地下とそう変わらん!)で観た「堕天使のパスポート」の予定です。
はぁ、溜めるとほんとにつらい!

おしまい。