スパイダーマン2

こうして“3”も観てしまうのでしょうか?


  

こう暑いと行動力も思考力も著しく減退。まるで本能のみで行動してしまう。
勤め先を出たとたんにアタマに浮かぶのは、シャワーで汗を流して冷たいビールを飲むことだけ。で、ビールを飲んでしまうと何にも一切手を付ける気がせず、ほどよくエアコンが効いた部屋で眠ってしまう。テレビもラジオもパソコンもお休み。
そんなことを繰り返しているうちに、ビールやチューハイの空き缶だけが溜まり、7月も終わってしまうのだ。

もう随分前に観たような気がする「スパイダーマン2」
ボクの場合、この手の映画は試写会で拝見することがなければ、スクリーンで観ることはなさそうなもんだけど、前作に引き続いて劇場で鑑賞。
この日はクルマで行ける伊丹のTOHOプレックス。午前中に行って昼には戻って来る予定。

いつもはガラガラで、正直に言って「大丈夫か?」と心配になるほどだけど、劇場がある4階にのんびり上がってびっくりした!!! チケットブースには長蛇の列! これじゃぁソウルのメガボックスも真っ青!
30分並んでも順番が来ない。これは子供連れや中高生が多くて、むちゃくちゃ要領が悪いからだ。おいおい順番が回ってきてから相談するのは勘弁してくれ! でも、何とか上映開始時間までにはチケットを買えました(途中で、帰ろうかとさえ思った)。
そうか、こんな日もあるから映画館は成り立っているんやなぁ。ポッターの日本語吹替版とかアニメは夜の回を除いて「売切」。

冷静になってこの映画を観ると「冴えないお兄ちゃんと、冴えないお姉ちゃんの煮え切らない恋物語」に他ならない。
この“冴えないお兄ちゃん”がスパイダーマンでなければ、ほんまにしょうむないお話し。
前作でも強調したけれど、キルストンがかわいくなさ過ぎ。
これは決定的にこの物語りをぶち壊している。彼女がせめて人並みであるだけで、随分印象も変わるのになぁ。「惜しい」と言うよりも、センスを疑う。いや、実はボクの審美眼がおかしいのかと、ちょっと悩んでしまったほど。

前作の内容をきれいさっぱりと忘れていたので、スパイダーマンが貧乏苦学生で、新聞社でカメラマンのアルバイトをしていたことや、叔父さんを亡くしてしまったこと、親友のハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)の存在なんかもすっかり抜けていた。そうそう、ピーター・パーカーがどうしてスパイダーマンになったのかもね。

私利私欲に走らず、清廉潔白なスパイダーマンだけど、それだけではご飯は食べられない。彼にも生活があり、恋もしている。
今回のお話しは、その狭間で揺れる彼の物語りがテーマになっている。
生活はわかる。でも、恋の相手がMJ(キルステン・ダンスト)じゃぁなぁ。
まぁ、そんなスパイダーマンとスパイダーマンそのものにはなんの恨みもないけれど、行きがかり上スパイダーマンと対決することになる。その科学者のおっさんも何だか冴えない(今、調べてみたら「フリーダ」で旦那の芸術家を演じていたアルフレッド・モリナという役者さんやった!)。

それでも、たっぷり予算をかけられた見どころのあるアクション大作になっているのは事実。
理屈とかは抜きにして、何も考えずにご覧ください。それなりに楽しめると思いますょ。

ラスト近くにはハリー・オズボーンが邸宅の隠し部屋にグリーンゴブレット(この人のお父さん)の遺品を発見する。こりゃ間違いなく次作への布石やな。
こうして、三作目もまた観てしまい、そうしてぼやくんかなぁ。

次回はシネヌーヴォで開催されていた中国映画特集で拝見してきた「思い出の夏」の紹介です。

おしまい。