ビッグ・フィッシュ

こころが静かに満たされる、そんな映画です


  

大阪でも上映している映画をわざわざ東京で観ることもないと思うけど、大阪ではどうしても「あれもしたい、これもしたい」と思ってしまうので、なかなか腰を落ち着けて一日中映画を観ることは難しい。東京だと他にすることもないから、脇目もふらずひたすら映画を観続けることが出来る。

前週から公開され、なかなかの評判が耳に届く「ビッグ・フィッシュ」。
ボクは条件反射的に「ビッグ・フィッシング」だと思い込んでいた。「まるでサンテレビの番組名そのままやんけ」と思いながら。
原作を読んでいないので、思い違いかもしれないけれど、タイトルになっている“ビッグフィッシュ”がナマズの親玉みたいなのには、ちびっとがっかり。
「そりゃないやろ」。やっぱりマス科の魚にしてくれないとなぁ。この魚そのものは本筋とはあんまり関係ないんだけど、“ビッグフィッシュ”への愛着というか、魚への愛情、こだわりが感じられない。まぁ、そんなボクの思い込みは、あんまり関係ない。

この「ビッグ・フィッシュ」、実はなかなかいい映画なのだ。

期せずして父親と子供との邂逅をテーマにした作品を続けて観ることになった。しかし、切り口はまるで違い、映画としての出来そのものもかなり違う。
ウィルは、父親にウンザリしていた。同じ法螺話を何度も繰り返し喋る。聞く人は初めてかもしれないけれど、ウィルにとってはもう耳にタコ。それが、そこそこ受けるから余計に面白くない。そんなこともあってか、父親と息子はもう何年もろくに口を利いていない。
そんなある日、母親から電話を貰う。「もう長くないかもしれない」と。ウィルは慌てて、お腹が大きいフランス人の妻とパリから駆けつける。
そこから、父親が語る様々な“お話”と、現在が交互に語られ始める...。
そして、ウィルは今まで知らなかった自分の父親の姿を知り始める。それは、人から聞かされる話しだったり、物証であったり、そしてその場所やそのものであったり。この辺の手順は、実によく練られていて「上手い!」と唸ってしまう。

とにかく、回想のシーンの映像がどれもこれも実に綺麗で美しい。
特に寮の前庭一杯に敷き詰められた黄色い水仙には驚くしかない(そうだよ、これが映画なんだ!)。思わず、主人公が歌いだせば、そのままミュージカルかと思うよね(実際には殴り合いの喧嘩してしまうんだけど)。
夢があって、伏線も各所に散りばめてある。ほんとに手馴れた脚本であり、演出だ。

それにしても、出征した朝鮮戦争(それともベトナム戦争かな?)で、慰問している双子の歌手が広東語を喋っているのはどういうこっちゃ? アメリカではやっぱりその程度の認識やねんなぁ。まぁ、これはどうってことのない些細な問題で、本筋はとても良く出来ていて感心する。

エドワードはベッドの上にいながら、ウィルに媚びたり迎合することはない。相変わらず大きなことを話している。
息子は「またか」と思いながらも聞き流す。でも、自分も大人になり、もうすぐ父親になろうかと立場になり、微妙に聞く耳が変わってくる、それに彼に会う人から聞かされる言葉の端々に上がるのは...。
だんだんと目が、視線の先が変わってくる。

この映画は、若い人が観てもいいんだけど、それよりも20代後半以上の“父親”に観て貰いたいな。
ボクの場合、残念ながらもう父親はいないのでどうしようもないんだけれど、この映画を観て、父親と仲直りをしたり、こんな親父になってみたいと思ったりして欲しい。

なかなかのオススメです。お時間が許せば是非ご覧いただきたいですね。美しく、綺麗で、そして上手い映画です。
大阪ではブルクやナビオで上映しています。2時間オーバーなのはちょっと長いけど、それはご愛嬌で許してください。心がほっとするような感動を得られるのではないでしょうか。

それにしても、サンドラ(ウィルの母親・アリソン・ローマン)の若かりし頃、何故か牧瀬理穂に見えて仕方なかった。なんでかなぁ?
若き日のエドワード演じるユアン・マクレガーもいいよ!

おしまい。