「グッバイ・レーニン!」

現在進行形なのかも


  

久し振りに舞台を見てきた。
伊丹で「屋根の上のヴァイオリン弾き」。ボクの贔屓の市村正親が主演。森繁久弥や西田敏行のときは、そう見たいと思わなかったけれど、正親さんがするテヴィエなら見てもいいかな。情報を仕入れるのが遅くなり、間際になってからムリを言って知り合いに切符を取ってもらった(三国小町さんいつもありがとうございます!)。こんなミュージカルを伊丹の市民ホールで上演するのには驚いたけれど、都会の劇場には無い庶民的な雰囲気が良かったな。ホールそのものも凄く良かった(びっくりした)。
芝居そのものも、遥か彼方20数年前に映画で見た(阪急プラザ劇場やったなぁ)だけで、その記憶を手繰りながらストーリーを追っていく、すると懐かしいというか、新鮮でさえありました。ユダヤ人云々もさることながら、家族愛をうたっているんだなぁ。
映画もいいけれど、やっぱり生で見る舞台もいい。なんか、ちょっと酔いました。また、行ってもいいな。

さて、ここからは映画のお話し。
今回拝見してきたのはドイツの映画「グッバイ・レーニン!」。半年ほど前に、こんな映画があると何かで知ってから“観たい”と思っていた。公開されてからそこそこ日が過ぎているのに、お客さんも入っている。観に行くのは遅れたけど、何だか嬉しいな。

舞台は1989年の東ベルリン。まだ東西分割の時代に普通の家族がいた。夫婦に姉弟の4人家族。10年前、父親が西側に亡命してしまう。母親クリスティアーネはショックで失語症になってしまうが、しばらくして、母親も治り、三人での生活を送っている。母親は悪夢を振り払うように共産主義活動にのめり込み、ついに国家中央委員から最高の勲章を授与されるまでになる。しかし、時代の波は確実に進み、東側の崩壊も時間の問題となったある日、息子アレックスが反政府運動のデモに参加しているのを見かけ、その場に倒れこんでしまう。
その結果、昏睡状態に陥り、何時目覚めるとも知れない状態に。しかし、時は止まってくれない。クリスティアーネが愛した体制、それどころかベルリンの壁も、東ドイツという国家そのものも倒壊してしまう。そんなことも知らずにママは眠り続ける。姉は西側の青年と結ばれ、アレックスも母が入院している病院のロシアから来ている看護婦ララと仲良くなる(このララちゃん、なかなかかわいい!)。

それにしても、東側が資本主義に染まる、いや同化する(飲み込まれる?)スピードは凄い。ある意味、東側がいかに抑圧されていたのかがわかる(ような気がする)。それに付いていける若者はまだいい。順応出来ない中高年は悲惨だな。

そして、8カ月後。アレックスが見舞いに行ったママの病室で、ララとキスを交わしていたら、突然、ママが目を覚ました。だけどクリスティアーネの心臓は衰弱していて、もう長くはないと診断が下る。ちょっとしたショックでも命取りになる。
ママにとって一番のショックは体制が崩壊したことだろう。その事実を伏せたまま、以前のような生活を送らせてやりたい。そして出来れば何も知らないまま、家で余生を過ごさせたい。そう考えた。
すっかり、西側に染まった生活をしていた子供たちは、部屋を前のように戻す。ウソにウソを重ねるために、テレビ番組を友人と作り、それをビデオでママに見せる。ママの誕生日には、古い友達を集めて口裏を合わせてもらう。いつの間にか凄いスピードで姿を消してしまった東側の食べ物を集めてまわる。そんな笑えない苦労を重ねる。
果たして、愛するママは体制の崩壊を知らずに過ごすことが出来るのか...。

結局この映画は、旧体制への郷愁を描いたものなのか。それとも、壮大な時間を費やした社会主義体制への皮肉なのか。笑って済ますことは出来ない。東側で生活を営んで来た人たちは、どんな気持ちでこの映画を観たのだろう?
本編を彩るサイドストーリーの数々も素敵(ある意味悲しくもあるんだけど)。なんと言っても、東ドイツで初めて宇宙へ旅立った飛行士のエピソードが強烈(残念ながらボクはソユーズで宇宙へ旅立ったドイツ人がいる事実を知らなかったけれど)。
また、西ドイツのワールドカップの優勝(1990年のイタリア大会)に狂喜する姿も、ちょっと意外だった。そうか、もともとドイツは一つだったし、ゲルマン民族のナショナリズムは強烈なんだ。

お金はあっても、自動車は順番待ちで簡単に手に入らない。そのお金だって、今となっては何の価値も無い紙切れに過ぎない。
体制が崩壊する。信じていたもの、当たり前だと思っていたことが足許から崩れる。それって凄いな。

でも、難しくない。
是非一度ご覧頂きたいですね。

アレックスが職場で使っている軽トラが、スズキのキャリーだったのがちょっと可笑しかったな。

おしまい