「海岸線/The Coast Guard」

狂気とは何か


  

キムギトク監督の特集上映。今回は「海岸線/The Coast Guard」。
チャンドンゴンの主演。

一言で表現するなら「狂気を描いた映画」。
ほんの些細なボタンのかけ違えのような出来事が、取り返しのつかない事態を呼んでしまう。
いいとか悪いとか。間違っているとか正解だとか。その判断は観ているこちらに委ねられている。

重い、何とも重い映画。

カンは海岸にある海兵隊の部隊にいる。ここは、海岸線の監視をする基地で、30人ほどの兵士が詰めており、24時間体制の警備監視と訓練をしている。
民間人が自由に出入り出来るビーチとこの部隊が管轄する海岸とは、簡単な有刺鉄線で境界が築いてあるだけ。
ある晩、彼は当直に当たっていて、監視所で見張りをしている。実弾を装填した自動小銃を持ち、ヘルメットのひさしには暗視スコープ付きの双眼鏡が装着してある。緊張感よりもどちらかと言うとのんびりムードが漂っている。
ふとした物音に気がついたカンが、双眼鏡で海岸の岩場を見ると、そこには人影が...。問答無用で銃で掃射、おまけに手榴弾を投げつける。

その音に兵士たちは集まり、サーチライトが辺りを照らす。
そこにいたのは、海岸線に忍び込んだ民間人の若いカップル。銃弾を受けた男は、すでに息絶えていた。女はひたすら怯えてうずくまっている。
確かに立ち入り禁止の表示を無視して、有刺鉄線を潜り抜けてこの岩場に入ってきたこの二人に非はあるのだが...。
翌朝、カンは警察の取調を受ける。放心状態だった女は発狂してしまう。
職務を全うしたカンは、もちろん無罪だが、地元に住む殺された男の知り合い縁者が詰め掛け、制止を振り切って殴りつける。彼はなされるがままだ。

ご存知かどうかは知らないけれど、韓国には徴兵制がある。若者は原則として軍隊に行く。だが、その期間中に実際に交戦したり、人間に対して発砲することはまれであり、ましてや人間を殺す経験をすることはまずない(と思う)。
それが、そんな珍しい経験をしただけでなく、殺人まで犯す。その結果が誤射だ。

カンは表彰を受け、おまけに休暇を得てソウルへ帰る。そこで恋人に会っても、気が晴れるどころか、ふさぎこむばかり。
休暇を終え、部隊に戻る。バスを降りたところで、地元の若者に囲まれ袋叩きに逢ってしまう...。
カンを蝕むのは、そんな地元の若者の拳や冷たい視線だけではなく、自分が殺してしまった男の恋人だった女。彼女も折に触れ彼の周りに付きまとう。

やがてカンは心の均衡を失っていく。 自分は正しいことをしたのか、それとも愚かなことをしてしまったのか。自分を正当化するために、カンが心のよりどころにするのは、自分の部隊であり、軍隊の存在そのもの。
そのよりどころを根底から覆されてしまう。任期満了を待たず、名誉除隊。ある意味、軍隊から、部隊から見放されてしまったのだ。体よく切り捨てられてしまった。

心の均衡を失うどころか、狂気への道を一直線に進もうとしているカンの行き着く先は...、どこだ。

観る側の感情移入を許さない。カンの表情は硬く、それでいて一途。いや、ある意味、滑稽ですらある。
カメラの視線はあくまでもクールで、第三者的。しかも、台詞もかなり抑制されている。
歴史に翻弄されるなんて、大それたことを言っているのではない。このストーリーにおいては、たまたま部隊が、軍隊であっただけ。人間は誰でも何かはずみで人を殺してしまう(又は死に至らしめる)ことがあるかもしれない。そのときに、その判断を下した前提条件が脆くも崩れ去ってしまうとすると、個人として背負うには余りにも重い。

この映画を観ていて思ったのは「人間、死んでしまうのは簡単で楽だ」ということ。だけど、残されて生き残った人の苦しみは大変だ。その死に方が普通でなければないほど。死んでしまった方も、殺してしまった方も。そして、殺人という行為を手段として正当化する軍隊。その存在は考えてみたらとても恐ろしいものだ。
もう一つは、自分の足許とは意外と脆弱なのかもしれない。一体何を根拠に、何を信じて生きているのか、生きていくべきなのか。そんな基本的な問題を突然投げつけられてような気がした。

チャンドンゴンは決してカッコいい役どころではないこの兵士カンを見事にこなしていると思う。ただ、彼はどうしても実直な印象を観る側に与えてしまう。そうじゃなくて、この役には一癖もふた癖もあるもう少し狡猾な性格を持つような俳優さんが演じたほうが良かったのかもしれない。軍服姿のチャンドンゴンは「テグッキ」を観たばっかりだったので、どうしてもダブって見えて仕方なかった。

今回のアート・キューブには20名弱のお客さんが入っていました。この人数は、平日の夜にしては入っている方だったのでしょうか。ボクは72番座席がお気に入りになりました。

おしまい。