「ヴァイブレータ」

さわりたい


  

大阪駅前第一ビルの北側にひっそりと桃(ベニバスモモ)の花が咲いている。
職場が今のオフィスに移ってから毎年目にしている。この花が咲くと「もうすぐ春なんだな」と思う。桜に比べると花弁がほっそりとしていて、色もずいぶん控えめ。雨で花を落としてしまったかと心配していたけれど、まだちゃんとついていた(良かった)。
一気に春めいて、上着もいらないほどだと思ったのに、今朝は寒くて縮み上がっていた。気温も乱高下、気分も乱高下。四月の声を聞くまで、春は待つものなのかもしれない。この週末は春のお彼岸の中日だった。

さて、ぼやぼやしているとまたも観逃してしまいそうなので「シービスケット」を観た足で一駅移動して新今宮(動物園前)へ。ここで拝見してきたのは「ヴァイブレータ」。
シネフェスタでは、チケットを買うときに、どのスクリーンで上映するのか教えてくれる(もう随分前から電光掲示板は消えたまま)。「一番奥のスクリーンで上映します」。なんと一番大きいスクリーン。そんなにお客さんが入るのだろうか?

目的地がないロードムーヴィー。物語りは東京で始まり、東京で終わる。
繰り広げられる舞台は、ある意味密室で、それでいて時々密室から解放される。
トラックの運転台という、狭く密度の濃い空気を共有する二人は、とても匿名性が強く、まるで生活感はない。共有した時間は、二人にとって切り取られた時間であり、終わった後、お互いに元の時間へ帰って行く。
なんとも言えない、不思議な後味を残す作品だった。

このストーリーは、女性の作家が書いた小説が原作になっているそうだ。と、言うことは女性の気持ちを代弁しているのか? それとも、男性である監督の意向が色濃く反映されているのか?
同じ映画を観ても人それぞれの感想がある、同じ本を読んでも笑う人もいれば難しい顔をする人もいるだろう。そのように、玲の姿が全ての女性に当てはまるのではないと思うけれど、なかなか考えさせられた。
別に嫌悪感を憶えたわけではない。それどころか、妙な親近感さえ持った。

「ヴァイブレータ」が語られるときに、主演の寺島しのぶが中心になっていることが多いけど、ボクが目を見張ったのはもう一人の主演、大森南朋。この人凄い。どこまで凄いのか、わけのわからない包容力を持った男だ。飾らない、威張らない、怒らない、殴らない...。喋る、喋らない。
この大森南朋の存在こそが、「このお話しは女性の作家のお話しなんだ」という印象を最も受ける箇所なのかもしれない。

行き詰まりを感じながら生きている30過ぎの女。眠るためにはアルコールの力を借りなければならない。そのアルコールを補充するためにコンビニに買出しにやって来た。
彼女の悩みは不眠だけではない。自分の考えが、思考が、声として頭の中に聞こえる。頭の中で、数々の声が響きこだまする。その声なき声と常に闘っている。理性と思考のせめぎ合い。
そんな彼女の視界にふと入ってきたのが、長靴を履いてコンビニに入ってきた男。その男が、すれ違いざまに彼女のお尻にそっと触れる。

「あなたにさわりたい」とは、どういう感情なのか。

お互いが語る。でも、その内容が嘘なのか本当なのかわからない。それはそれでいい。
トラックには無線が積んである。無線では、道路上の様々な情報が行き交う合間にどうでもいいような会話も語られる。無線でのやりとりはとても匿名性が強い。そこに会話は存在するけれど、お互いの実像は闇の中...。
運転席で繰り広げられる会話も、二人の声や体温は実在するけれど、その中身は何の意味も持たない記号が行き交っているだけなのかもしれない。運転席では体温を感じるか感じられないかの距離だけど、視線は合わさない。視線が合うのは、運転席にカーテンが引かれたとき、そしてトラックを降りたとき。視線が合ったときの会話にぎこちなさを感じるのはボクだけだったのか。

空虚な記号による会話ではなく、相手の身体にさわるという行為は、お互いがそこに存在していることを実感できる唯一の手段なのかもしれない。さわることは自分が相手を確認する。そして、相手も自分の存在を確認してくれる。原始的だけどとても重要な作業なのかもしれない。
以前は、話しをする相手は必ず自分の前にいた。今ではいろんな手段が発達して、話しをする相手コミュニケーションしている相手が目の前にいるとは限らない。それどころか、その相手は人間ではなく、ロボットや機械なのかもしれない。
自分が相手を認識している、相手も自分を認識している。男は、女なら誰でも良かったのではなく、自分を認識しているのではないと駄目だ。だから行為の最中に、男に自分の名を呼ばせた。私はさわっている、彼も誰かではなく「私」をさわっている。

それほどまでに、疎外感を感じていたのか。自分の存在感を失っていたのか。
「あなたにさわりたい」とは「わたし(の存在)をたしかめて」ということだったのか。

この話しが普通の話しではないと思う。
でも、あるかも知れない。
こんな女も、こんな男も、ひょっとしたらいるかも知れない。いないかもしれない。そんなことはどうでもいい。

ちっとも上手く伝えられないけれど、久しぶりに観終わって「心が震えた」。

動物園前シネフェスタ4でもうしばらく上映中、神戸では4/24からシネカノン神戸で公開されます。お観逃しないように!

おしまい。