「マグダレンの祈り」

なんという別世界


  

観よう、観ようと思いながら、観逃していた作品。
千里のセルシーシアターで上映していた。ありがたいことです。ここは結構上質の作品を思い出したように上映してくれる。
仕事帰りに映画を観るのも実に久しぶり。

衝撃的な内容だとは耳にしていたけれど、詳細は知らなかった。
「修道院」とか「修道女」っちゅうのは、少し妖しげで謎のベールに包まれた世界だと思っていた(まぁ、今でもそうだけど)。実は甲東園や仁川にも修道院は幾つかあって、一度中を覗いてみたいと思っていた。それはいいとして...。

修道院でシスターになることと、修道院に収容されることは全く別のものなのとは知らなかった。家を出て仏門に入ることは出家だけど、キリスト教に帰依することをどう呼ぶのだろう。
神父と牧師との違いもよく知らないけれど、坊主と神父とのイメージの違いは大きい。でも、考えてみたら、神父さんもお坊さんももともとは人間なのだからいろいろ生臭いこともあるよね。ただ、ボクにとっては、お坊さんは割と身近な存在なのに、神父さんはちょっと縁遠い存在の違いがあるだけか。

宗教の名の下にいろんな無茶が通るのは、何もオウムだけではなく遥か昔から行われていたんだな。この映画は修道院で行われていた人権侵害を告発したお話し。
洗脳とか達観ではなく、漂うムードは「諦め」。自分の意思で修道院に入ったのではなく、口減らしでもなく、何か懲罰の意味合いが濃い。それが恐ろしい。
受け入れる側も、入ってきた者を感化しようなどとはこれっぽっちも思っていなくて、単に労働力としか見ていないのが「凄い」よ。逃亡しないように監視している。逃亡を許したときに監視の当番に当たっていたシスターはアフリカへ左遷されるというエピソードには背筋が寒くなった。
院長の楽しみは、札束を数えてクッキーの缶にしまうことだ(西洋人はこういうかんかんにお金を仕舞うのが好きだねぇ)。ここでは、クリーニングで生業を立てているようだ。

もっとも印象的なのは、収容者を裸にして並べて、言葉による折檻を行うシーンだろう。これは強烈。これをきっかけにして気がふれてしまうのもわかる。

出てくる女性たち全てが印象に残る。一応主人公の3人も、それぞれの生い立ちや知性に準じた雰囲気を上手く表現しているし、少し知能が遅れた(?)クリスピーナを演じているアイリーン・ウオルシュも上手い。そして、院長がいい。この人が夜かぶっているナイトキャップがいいねぇ。
孤児院で育ったバーナデットを演じたノーラ=ジェーン・ヌーンは、ちょっと太めだけど他の映画でも会ってみたい女優さんだと思いました。

必見ではないけれど、いい作品だと思いました。画面からあふれてくる、何かピンっと張り詰めたような緊張感。この表現力は凄いなと思いました。

次回はロードショウ最終日にようやく拝見した「シービスケット」を紹介する予定です。

おしまい。