「9000マイルの約束」

「帰りたい」と純粋に思う


  

入れ替えがあり、続いてはドイツの映画「9000マイルの約束」。
何が驚いたって、お客さんの数。そんなに大きくない劇場のほぼ半分が埋まる、50名ほどの入り。ついさっきまで、パラッとした入りだったのにねぇ。お客さんの年齢層は恐るべき高さ。平均しても60才は絶対にオーバーしてたな。大阪ではひっそりと上映は終了していて、そんなに話題にもならなかっただけに、素直に驚きました。
感動作であること、それと性的描写が無く安心して観ていられることが理由かな。ラストではボクも不覚にも涙が...。
この作品に一つだけ注文をつけるとすれば、随時地図上で主人公の位置を示して欲しかった。それだけで、あきれるほど広大なシベリアを視覚的に理解でき、随分わかりやすい親切な映画になっただろうにな、ちょっと惜しい。家に帰ってから地図帳を開いたのは、きっとボクだけではないはず!

第二次大戦の末期、召集されたドイツ軍中尉のクレメンス・フォレルは前線に送り出される。故郷に身ごもった奥さんと、幼い娘を残して。駅で見送ってくれた娘に「絵葉書を書くからね」と約束し、彼は列車に乗り込む。
やがて、戦争が終わる。ソ連軍の捕虜となったクレメンスは軍事法廷で「強制労働25年」という判決を受ける。そして、そのままシベリアに送られる。
デジネフ半島ってどこにあるんだ?
途中で明らかになるけれど、どうやらシベリアでも東の端っこ。ベーリング海峡に突き出した半島。海を渡れば、そこはもう、アメリカのアラスカ。貨車に揺られて長い旅を送る。この鉄道に揺られている間にも同じ貨車に載せられたドイツ兵は次々に死んでいく。まともな服も靴もなく、暖房も乏しく、食料も僅かな旅だ。希望をなくしがちな兵士には辛いだけの旅。さらに、貨車から降ろされてからも収容所まではとてつもなく遠く、徒歩での死の行進。
ようやく辿り着いた収容所は、塀があるわけでも、鉄条網で囲まれているわけでもない。露天掘りの石炭採掘鉱そのものが天然の要塞になっている。ここから出て行こうにも徒歩以外に手段は無く、周囲はぐるりと何も無い。あるのはただただ広大なシベリアの大地だけ。

クレメンスは仲間たちとこの収容所で働き始める。そして、気が付く。ここに居ても待っているのは「死」だけだと。

ドイツ人医師の手助けもあり、二度目の脱走に成功する。成功と言っても、収容所から脱出出来ただけで、ここからドイツまでは何と9,000マイル(≒15,000キロ)もある。しかも、そのほとんどがソ連の領土内だ。そこを横切ってドイツまで帰るなんて、正気とは思えない。
凍てつく白いだけの大地を、用意周到とは言え、ただ一人で歩く。歩く。歩く。歩く。...。...。
そこに広がっているのは、雪に覆われ360度が平らな雪原。目標物も何にも無い。ただひたすら、磁石の針が指す方向に一歩一歩進むだけ。
クレメンスは追手の影に怯え、発狂寸前になる。そんな時に、立ち木の影がかすかに視界に入る。最初は幻覚かと思っていたけれど、やがてしっかりと見えてくる。ありとあらゆる生命の営みを拒絶したかのようなシベリアの雪原で、ようやく目にする「命」。クレメンスが思わずその木に抱きついてしまうのも理解できるなぁ。

正直言って、実話のノベライズを映画化したものだと知っている。だから、クレメンスがドイツの我が家にどうにか帰還できることも知っている。それなのに、ラストでは胸が、目頭が熱くなってしまう。そして思わず「良かったね」って声にならない声を掛けてしまう。

人間の存在そのものが否定され、自然の脅威に晒されるだけの冬のシベリア。一転して、ありとあらゆる生命の息吹が一気に吹き出す夏のシベリア。その中で生きるシベリアの人々。随分厳しいロケであったろうことは容易に想像できる。その労が余すことなく画面に生かされている労作でもあります。
シベリア抑留の是非を問うわけでもなく、もちろんナチスドイツの肩を持っているわけでもない。ロシア人の看守部隊は、悪役ではなく、命令を守り仕事に従事しているだけだし、クレメンスは純粋に家に帰りたいと願っているだけだ。イデオロギーに関係なく、ただそれだけのお話し。

まだ上映してるかどうかはわかりませんが、チャンスがあれば是非大きいスクリーンでご覧いただきたい、オススメの一本です。きっと商業ベースに乗らない上映会などでも上映されることがあると思います。上映時間が3時間弱とちと長いのが玉に瑕でしょうか。

おしまい。