「美しい夏キリシマ」 |
どんな時もヒトは生きている |
玄人筋からの評価が凄く高い作品。 何にびっくりしたって、狭いヌーヴォのロビーが人で一杯になっていたことだ。しかも、ボクの知っているヌーヴォとは全く客層が違う。若い人は数えるほどで、ほとんどが70代以上のお年寄り。戦前戦中派なのでしょう。そんな客層。客席はほぼ埋まる。おまけに関西テレビのテレビカメラが入っていた。どうやら、監督の舞台挨拶があるようだ。 この大入りのお陰で、いつものボクの席には座れなかった。しかも、あまり行儀良くない人の後ろになってしまったので、上映が始ってすぐにパイプ椅子の補助席に席を移した。映画を見慣れない人が多い回は別の理由で疲れてしまう。まぁ、仕方ないけどね。
主演はこの作品で、キネマ旬報の新人男優賞を受けた柄本佑。どこかとぼけた味がある少年。
1945年(昭和20年)の夏が舞台。終戦までの二週間ばかりの出来事が克明に描かれている。出来事だけではなく、タイトル通り美しい霧島の自然が映し出される。この自然の美しさと、人間の営みの生々しさが対比されているのだろうか?
やがて、この家での輪郭がはっきりしだす。祖父母(どうやら祖母は後妻のようだ)、康夫、そしてお手伝いのはるとなつ。そして、なつの実家に住む彼女の母親と弟。この母親とねんごろな関係の兵隊。康夫の同級生や下級生、死んだ学友の妹、従姉妹、フィリピンで片足を無くした軍人、都城の基地から特攻隊となって飛び立つ青年将校...などなど。
広島に新型爆弾が投下され、それは数日後に長崎にも落とされる。当時は街そのものが消えてしまうなんて、そんな概念もなかっただろう。それに、康夫の従姉妹は数日前に長崎の女子高から戻ってきたばかりだった。
当時の知識人や中学生が、在郷のおちゃんやおばちゃんが、竹やりで米軍と一戦を交えることがいかにナンセンスなことなのかわからなかったわけがない。教練を監督している軍の将校だってそれぐらいは百も承知だっただろう。 戦争というと、軍隊や武器、飛行機などをすぐに思い浮かべてしまう。でも、それらを操る兵士を送り出した人たちにも、当然のことながら生活がある。喰って寝て話しをして...。たまたま、日本は沖縄だけしか戦場にならなかったけれど、戦場にだって生活はあり、そこにいるヒトは好むと好まざるには関係なく、その営みを続けていかなければならない。そんな、当たり前だけど忘れてしまいがちなことを思い出させてくれる。 今、ボクたちが手にしている平和はとても大切なものだ、とも教えてくれているような気がしました。
決して、暗かったり、難解であったりはしません。
2時間弱の作品は、退屈することなく一気に見せてくれます。 おしまい。 |