「ラストサムライ」

理屈ではなく、観ていて楽しい


  

これは言訳ですが、12月に入ってもなかなか一息付けずに忙しい日々が続いている。そろそろ、何とかしないと「中年性健忘症」がますますひどくなってしまう!
さて、久し振りに試写会へ行ってきました。と、言ってもずいぶん前の話しですけどね。三国小町さんいつもご招待ありがとうございます!

この映画を語るとき「この映画が伝えたいものは何やねんろ?」と深く考えるのは、意味のないことだと思う。この映画は、あくまでもフィクション。そして、現在の日本人にとって、既に無くしてしまい、当時の日本人も忘れようとしていた「侍魂(サムライだましい)」をテーマにした、なかなか痛快な娯楽映画として観るのがイイと思います。
だから「何で、渡辺兼は英語が喋れんねん!」っちゅうのは愚問。それは、その方が都合がイイからなのに他ならない。それは、それでエエんやと思う。
少々、上映時間(2時間30分)が長すぎるのは気になるけど、少々のことは目をつむって、この映画の世界に身を委ねることが肝要だ。

ここで考えたいのは「侍(=武士?)とは、何か」っちゅうことかな? サムライとは偉そうにふんぞり返って、二本差している人なのか。それとも、君主のためには命おもかえりみない人なのか。その定義ははなかなか難しい。
この映画で描かれるサムライは、あくまでもカタカナで表現される「サムライ」。
そして、ハリウッドが描くサムライの姿に、現代のボク達はそう違和感を持たず(いや、かなりの部分で共感さえして)受け入れることが出来る。
この際、言ってしまえば、この映画は東映のヤクザ映画となんら変わることがない。
要は、自分の道に信念を持って生きる。それがその時代の概念(?)と異なれば、すなわち犯罪者であり、反逆者である。しかし、その信念は曲げることが出来ない。結局、義憤に駆られ「お上に、楯突く」ことになるのだ。

確かに、随所で違和感は感じる。でも、それは些細なこと。意味とか理屈は、この際どうでもイイ。要は、そんな部分を超越して「観ていて楽しい」、それはとっても大切なことだと思います。
この年末の目玉かな。お時間があれば、観て損の無い作品だと思います。
ボクの贔屓のティモシー・スポールも顔を出しています(最初は違う役者さんかと思った)。

しかし、セオリー通り、主要人物はなかなかやられへんなぁ(真田広之なんか「まだ生きてたんか!」って思ってしまったもんなぁ...)。
梅田ではブルク他で上映中。そこそこの動員をしているようです。良かったね。

おしまい。