「パイラン」

その気持ち、痛いほどわかる


  

もう随分前にソウルで観た映画がようやく大阪で公開された。
チェミンシクと香港のセシリア・チャンが主演。原作は浅田次郎の小説。日本でも中井貴一の主演で映画化されている。

以前観た時にはもう一つ理解出来ていなかった事柄が、字幕のお陰で次々と明るみに出てくる。大筋ではわかっていたけれど、ちょこちょこと知らなかった事実があった(あたりまえか)。
それにしても、よく出来たお話し。自堕落でうらぶれた生活を送っていたイカンジェ(チェミンシク)が、ファイラン(セシリア・チャン)の純な心に触れて(しかも、直接ではなく、手紙という媒介を経て)、変化していく。次第に思いを募らせる。
決して美しいだけの恋ではない。恋愛ものとしては変化球。それでいて、観ているボクは直球勝負のお話しより、何倍も心を打たれてしまう。
イカンジェにあるのもは「心」だけ。そこには実体が存在しない。物欲や性欲やそんな形而下のものはない。それでいながらボクの心に染み込んでくるこの「思い」はいったい何だ...。
きっとボクがまだ20代なら、彼の気持ちは理解出来なかったと思う。いたずらに齢(よわい)を重ねた今だからこそ、この情けない男の心の揺れが痛いほどわかるのだ。

イカンジェは、若さの峠をとうの前に越してしまった情けないチンピラ。ずっと年下の若い衆にもなめられている(韓国では年長者をあからさまに見下すのは極めて稀)。表の顔は一応ビデオ屋の店主だけど、実体はどこまで行ってもうだつの上がらないオヤジ。たった一人の手下(?)ギョンスと一緒に暮らしている。
同郷で幼馴染のヨンシクはヤクザの顔役。このヨンシクがいなければイカンジェはこの世界では生きて行けなかっただろう。そんなある日、ヨンシクが抗争相手の組織の幹部を殺してしまう場面に居合わせてしまう。イカンジェは身代わりになって警察に出頭するように頼まれ、見返りに金を受け取ることを条件にその申し出を引き受けてしまう。

そして数日後、イカンジェの部屋に警官が訪ねて来る。
「今日、自首しようとしていた...」と言おうとしていた彼を制して、「奥さんはファイランさんですね。昨日亡くなりました」と伝えられる。「?」。そして、一年ほど前に、中国から来た娘と偽装結婚したことをぼんやりと思い出す。
イカンジェとギョンスはファイランが暮らしていた街(束草・ソクチョ)へ向かう。ファイランのつましい生活が回顧される。使われることがなかった歯ブラシが哀しい。
彼女がイカンジェに宛てた手紙。自分が見失っていた「心」がふっと蘇って来る。今ならひょっとしたらやりなおせるのかもしれない、そんな思いが胸の中に芽生える。
ファイランの「イカンジェシ...」で始まるモノローグが心に突き刺さる。
写真を見ただけで一度も逢うことなく、言葉を交わすこともなかったファイランの姿を最後に見ることができた彼は、ある意味「幸せ」だったのかもしれない。

この春に訪れた束草だったのか。
市街地の入り口にある「刺身団地」の街並みで気が付いた。それにしても韓国の映画では、田舎と言えば江原道だなぁ。

お涙頂戴的なストーリーに、嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。でも、そんな人もいつかわかる日が来る、そんな気がします。
この日、改めて観るとチェミンシクとセシリア・チャンの寡黙な演技が光る。派手なアクションがあるわけでもなく、長々とした台詞があるわけでもない。それでもこの二人、喋らない演技が余計に際立っている。
チェミンシクの手下ギョンス、「ブルー・Blue(邦題:SSU)」のリンゴの隊員だったコンヒョンジン(「ラストプレゼント」ではイジョンジェの相方役でしたね)。この人もしっかりした芝居を見せてくれています。

もうしばらく十三の第七藝術劇場で上映されています。
ここでは一風変わった「テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる」(タイトルも変わっているというか、ムチャクチャ長いよ!)のレイト上映が始まるようです、楽しみ!
まずまずのオススメ。中年のおっちゃんで、涙腺の弱い方はご注意ください。
チェミンシク主演の「酔画仙」も国内での公開が決まったとか、楽しみです!

おしまい。