「名もなきアフリカの地で」

レギーナちゃんがかわいいよ!


  

予告編を観る限り、感動の文芸巨編ってノリではないかと予想していた。しかし、実際はちょっと違う。なんかドキュメンタリーを観ているような気にさせられる。これでもかってドラマチックな盛り上げる仕掛けが用意されているのではなく、淡々と流れていく。その流れに身を委ねつつ二時間を超す上映時間を漂って行く。

最初に言っておきます。
幼い少女・レギーナちゃんがむちゃくちゃかわいい。うーん、参った!
そして、彼女に負けず劣らず現地の料理人オウアもいいんだなぁ。
こうして、この二人は輝いているんだけど、レギーナの両親はそうでもない。この夫婦にはまるで魅力を感じなかった。それは役者さんが悪いのではなく、そういう人だったんだろうな。きっと。

第二次世界大戦の前夜。ドイツではナチによるユダヤ人迫害の度合いが日に日に激しさを増していた。ドイツで弁護士をしていたユダヤ人の男性は、この迫害の先に起こることを見越し、アフリカはケニアに疎開する。まず、本人が先に行き、環境を整え妻と娘を呼び寄せることにする。
そして、英国人が経営する農園に管理人としての職を得る。何にもないケニアの大地に呼び寄せられた妻と娘。二人はこの新しい生活にただただ驚くばかりだった。
父親は全てを悟り、ケニアで新しい生活を築こうと努力をする。でも、母親は都会で裕福に暮らした日々が忘れられず、新しい生活に馴染もうとはしない。それどころか、こんな生活を強いる夫をなじる。まだ学校へも行っていない娘・レギーナはあまりわだかまりも見せずにケニアの自然に溶け込んで行く...。

ヒトにとって幸せとは何か? そんなことを考えさせられる。
あのままドイツに残っていれば...、と考える女は、命と自由があるだけでも幸せだと思う男を許せないのだ。
「私が選び、愛し、結婚した男はエリートの法律家、こんなケニアの農園で英国人にあごで使われ、現地民と汗を流す男ではない」そんな思いが態度や言葉の端々に吹き出てしまう。
ドイツに残ったユダヤ人がどんな目に逢っているのかわからないし、理解できない。
それは彼女だけが悪いのではなく、当時としては当然の反応だったのかもしれない。

そんな大人の世界とは別にレギーナはケニアに深く根を下ろしていく。
母親から「ここから先へは行っては駄目」と言われていたのに、かわいい小鹿を抱きたくてためらいながらもその線を越えてしまう。そんな姿が微笑ましい。
レギーナはケニアでいろんなものを吸収して行く。その様子がとても素直で、かつ真摯で、共感する(いや、ボクはその姿を羨ましく眺めているだけだ)。 レギーナとこの家に料理人として雇われている現地人のオウアの関係が素晴らしい(これまた、羨ましい!)。
それにレギーナが子供から少女へと成長していく際の子役の切り替えも違和感を感じさせないスムーズさ。これは見事です!

お話しのスケールはともかく、写し出される映像のスケールは壮大でとてつもなく美しい! あぁ、時間とお金があればボクもケニアに行ってみたい! そう思い、翌日、地図帳を引っ張り出してケニアがアフリカのどのあたりにあるのか調べてしまいました(思ったほど遠くないで!)。

ちょっと、夫婦の生臭い(?)エピソードが饒舌すぎたかな。その辺りをもう少し整理してレギーナのエピソードに絞ればもっといい作品になったのかもしれません。それに、上映時間が2時間21分は少し長すぎたような気もします。
しかし、ユダヤ人への虐待は、ドイツにいても悲惨だけど、難を逃れて国外へ出た者にとっても悲惨なものだったのですね。こんな描き方のホロコーストもあるのかと驚いたのも確かです。

この日は上映初日の初回。新梅田シティのシネ・リーブル梅田は補助椅子に加えて立ち見も出る大盛況だったのには、正直驚きました。
しかし、普段映画をそんなに観ない方が大勢いらっしゃると困ったこともあります。
この日のボクは席を選べる状態ではなく空いている席に座ったんだけど、ボクの前の女性は髪をアップにまとめて「かさ高い」上に、背もたれにもたれずに座っているもんだから異様に座高が高い。彼女の頭が邪魔になった人はボクだけではなかったハズ。
そんな格好で映画館へ来られては困ります! あなた一人で観ているのではないんやから!
もうちょっと、落ち着いてから観に行けば良かった...。
チャンスがあればご覧になっても、損はない佳作だと思います。レギーナちゃんの笑顔にあいに行ってください。まずまずのオススメですよ。

おしまい。