「灰の記憶」

とても正視できない


  

さて、盆休みに入った初日は映画三昧。五本ハシゴする予定だったけど、最後の一本は挫折してしまったので、結局四本。
今回はまずこの日の一本目。会場は十三の第七藝術劇場、ご無沙汰してます。

朝一番から観る映画ではなかった。
ラストのニスリの表情が哀しい。

舞台ははポーランド、アウシュビッツ。 今までは、ここで繰り広げられたナチのユダヤ人大量虐殺を非難告発することに重点が置かれた映画が多かったが、この「灰の記憶」はちょっと違う視点で描かれている。
物語りは、まず冒頭にこの収容所でユダヤ人医師として人体実験に携わり生き残ったニスリの回想録がベースになっていると断って始まる。

ホロコーストをテーマとする作品では、ホロコーストで被害者となったユダヤ人を「正義」として描くのが常道だけど、この作品はユダヤ人でありながらナチに協力していた(協力させられていた?)医師が、被害者でもなしさりとて加害者でもないが、どちらかというと加害者に近い立場で回想している。なるほど、原題は「Gray Zone」だ。
ユダヤ人達は囚人服をまとい、みすぼらしい姿なのに対し、ニスリはいつも糊のきいた白いワイシャツにぱりっとしたダークスーツ姿だ。

ここアウシュビッツにいるユダヤ人は二種類しかいない。どこか別の収容所かゲットーから送られてきてそのままガス室に送り込まれるユダヤ人か、アウシュビッツにいて彼らを待ち構えているユダヤ人。後者のユダヤ人は「ゾンダーコマンドー」と呼ばれ、任務はガス室で絶命した同胞を焼却炉で焼くことだった。
ニスリはそのどちらでもない不思議な存在だった。

ニスリの立場も複雑だが、ゾンダーコマンドーとして収容所で働くユダヤ人たちの立場、心情も複雑だ。彼らとて命の保障は全くなく、通常は3〜4週で自分自身もガス室に入らなければならない。それだけではなく、ここに到着した同胞をガス室に誘導する作業、それに付随したりその後の一連の作業は、観ているだけのボクでも思わず目をそむけたくなるようなものだ。

この物語りは、アウシュビッツでコマンドーとして働く男たちが、近隣の武器製造工場で働くユダヤ人女性収容者と組んで爆薬や武器を集め、焼却炉を爆発し、蜂起しようという計画を描いている。
コマンドーの多くは、もはや生きて自由の身になりたいとは思っていない。今の自分の所業を省みれば、どうやってこの先生きていけるのか、何をしてきたと家族に語ればいいのか...。わずか数週間、数カ月の自分の命と引き替えに、自分は同胞に対して何をしてしまったのか。
自虐的だ。ニスリだけでなくコマンドー達も自分の中に大いなる矛盾を抱えてここで日々を過ごしている。
蜂起し、逃亡しようという考えと、帰る所など無い、それよりもこれ以上同胞を殺さずに済むように焼却炉を破壊しようという考えが渦巻く。
そして、爆薬を送り続けていた女が逮捕され、拷問にかけられる。秘密裏に進められていた計画が明るみになろうとしている。

そんな時、ガス室で少女が発見される。彼女だけがガス室で生き残った。
彼女こそ、自分たちの象徴だ。何とかしてこの子だけは生きながらえさせたい。戦争が終わるまで無事生きていて欲しい。コマンダーもニスリもそう考える。

そして数時間後、蜂起が起こる。

ホラー映画でもなし、もちろんスプラッターものでもない。なのに正視すらできない。お腹の中に重い澱が残り、気分が沈み込む。

十三でレギュラー上映は終わりましたが、もうしばらくモーニングショーのみの上映を行っているようです。
ボクが観たのは10:30からの回でしたが20名弱ほどのお客さんでした。

おしまい。