「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」

こんな幕切れとは


  

今回はメジャーな映画館でハリウッドの映画。そう言えば去年(一昨年だったかな?)もお盆にナビオで、ケビン・スペイシーの映画を観たような...。いや、去年のGWに三番街シネマだった、「光の旅人/K-PAX」 というやたらとバナナが食べたくなる不思議な作品だった。
この「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」も、観終わった今となっては、何とも言えぬ不思議な味わいを持った作品。

出版社の週刊誌の編集部。数日後に死刑が執行される囚人から、インタビューの許諾の知らせが届く、記者を指名して。指名された記者ビッツィー(ケイト・ウインスレット)は助手を連れてテキサスへ向かう...。
インタビューは一日二時間で、三日連続。そして四日目に死刑が執行される。

デビッド・ゲイルがビッツィーに語るのは、後悔でも懺悔でもなく、真実を探して欲しいという依頼だった。初めは不信感一杯に半信半疑で彼の語る話しに耳を傾けていたビッツィーだったが。次第に身を乗り出していく...。

こうして、デビッド・ゲイルが語る事件がその背景から語れれ始め、ボクたちはその再現フィルムを見ることになる。
事件は事実なのか、冤罪なのか...。

初めは綺麗とも美人とも思わなかったケイト・ウインスレットだが、物語りが進むにつれてどんどん変わっていく。美人に見えてくるから不思議だなぁ。
しかし、彼女にはあまりにも時間がない。無さ過ぎる。
死刑の執行は目の前に迫り、時は刻々と過ぎていく。
そして、刑が執行される日。物語りは一気に動き始める。

この映画、実は巧みに作られていて、ボクの前に披露される「再現フィルム」はあくまでもデビッド・ゲイルが語っているのに過ぎないことに「後で」気付く。第三者の証言があるわけではなし、あくまでも、彼の主観、彼の恣意的な発言がビッツィーに語られているのにすぎない。それをボクは映画が終わってから思い出す。

いいのか悪いのか。ほんまなのかウソなのか。どれが事実でどれが虚偽なのか。そんなことはわからないし、わからなくても構わない。
ただ、この映画を観終わって、ズシンとお腹に響くものがあり、考えさせらる(それとも「あっけにとられる」?)のは確かだ。
それだけこの映画は上手く出来ているということか。

まずまずのオススメ。
もうしばらく(少なくとも8/29まで)はナビオで上映しているようです。お時間があればどうぞご覧ください。

次回は十三で観た「灰の記憶」を案内させていただく予定です。

おしまい。