「トーク・トゥ・ハー」

遠大なる片想い


  

関西でもこの日初日だった「トーク・トゥ・ハー」。福岡でも初日。続けてシネ・リーブル博多で観る。
100名ほど入れる劇場に50名以上は並んでいた。ボクは「六月の蛇」を観終わったすぐなので、その最後尾に並ぶわけだけど、これはちょっとおかしいな。せっかく、入場券に整理番号が入っているんだから、その番号順の入場にすればいいのに、シネ・リーブル神戸みたいにね。
結局、八割ほどの入り。二スクリーンあるこの劇場で両方とも「トーク・トゥ・ハー」を上映するとはなかなか力が入っていますね。

鮮やかな色遣い。そしていつまでも耳に残る音楽。この二つに心が魅了される。
明らかに水準以上の出来栄えの作品。

二人の男の恋が語られる。
一人は取材対象として知り合った女性闘牛士。もう一人は自宅の窓際からいつも見ているバレエ教室に通う女性。この二つの恋は、恋と呼べるのかどうか微妙。どうやら、一方的に想いを寄せるだけで、恋としては成り立っていなかったのかもしれない...。

この二人の接点は意外なところに準備されている。
この二人の男性が出会うのは病院の廊下。
ベニグノが想いを寄せているアリシアは数年前に交通事故で意識不明に陥り、今や植物人間。彼女の世話は看護士のベニグノが担当している。
その病院へ入ってきたのが、闘牛場で傷つき、意識を失ったリディア。彼女も回復の見込みはほぼないと宣言されている。
アリシアの回復を信じて明るく話し掛け、かいがいしく介護するベニグノ。回復の見込みが無いと宣言され、途方に暮れるマルコに「話し掛けてごらんよ」と明るく励ますベニグノ。そんなやり取りがあって、二人の男は仲良くなっていく。お互いに想いを寄せる相手はいつ目覚めるとも知れぬ(いや、もう覚めない可能性のほうがずっと高い)深い眠りに落ちているのだ。

次第に二人の素性が明らかになっていく。
ベニグノはどのようにしてアリシアに近づこうとしたのか。そして、その過程でどんなことが起こったのか。そして、今では周囲の連中からどんな風に思われているのか。
一方、マルコがリディアと知り合うきっかけ。そして二人の馴れ初めや回想シーンが幾重にも織り込まれる(この回想シーンで使われる冴えないオヤジの歌が最高にイイ!)。
その中で明らかになっていくのは、少し変わった方法で自分の思いを貫こうとしているベニグノの姿であり、自分の思いが本当だったのかどんどん揺らいでいくマルコの姿。

そして、二人にはそれぞれの事件が起こる。
二人とも心ならずして、病室を去る。

日本だと病室の壁の色は白と相場は決まっている。しかし、スペインのこの病院の壁は鮮やかでありながら落ち着いた橙(だいだい)。それが何も違和感を感じない。日光浴をするアリシアが着ているバスローブは深紅。そしてあれほどにまでド派手な闘牛士のコスチューム。この色彩感覚には驚かされる。これがチャンイーモウの作品なら、その色が目にこびりつきそうなのに、アルモドバルならなぜか自然と受け入れてしまうから不思議。これはスペインの陽の光と、大陸の光線との違いなのか。

この二人の男の間にはどんな種類の友情があったのだろう。ひょっとしたら友情なんてこれっぽちもなかったのかもしれない。
それでもベニグノの想いを知っているマルコは奔走するのだ。ベニグノの想いをどうにかして遂げさせてやりたい。それが駄目ならほんの少しでもいいから彼の役に立ってやりたい。彼の分まで自分が頑張る。

そうか、この映画はあくまでも「一方的な恋のお話し」なんだ。
全てに晩生で、自分の思いを上手く表現できない、或いは自分の容貌に自信を持っていないベニグノは、アリシアが元気なままなら二人の関係は片思い以下だったに違いない。それがどうしたことか植物人間になってしまい、コミュニケーションの手段が立たれたベッドの上において、看護士と患者という関係になって、一方的に奉仕し、語りかける。返事はない。でも照れることもなければ、逆に拒絶されることもないのだ。
想いは寄せる。一方的にひたひたと寄せる。でもその想いは暗闇に吸い込まれ、決して波は帰ってはこない。でも、それで実はベニグノは満足だったんじゃないかな。いや、きっとそうだろう。そうに違いない。
少し「異常」さまでを感じるベニグノの思いは、一方通行だからこそ成り立っていた。

ラストを裏切りだとは思わない。綺麗で美しく、希望の火が灯る素晴らしいエンディング。

まずまずのおすすめ。もうしばらく上映されているでしょうから、是非スクリーンまで足をお運びください。大阪ではLoft地下のテアトル梅田で公開中です。
残念ながらボクは100年分の涙は流せなかったけど、いい映画です。
アリシアを演じた女優さん(レオノール・ワトリング)がいい。この人凄くいいです!

おしまい。