「少女の髪どめ」

実らない恋も美しい


  

そろそろビワが姿を消し、今ははしりの桃やスイカが店頭を賑わしている。これからブドウが出てきて、ナシか。果物はまだまだ季節感が濃厚にあるなぁ。もちろん、お金を出せばどんな季節にだって何でも手に入るんだけどね。
ビワは父親が好きだった果物で、今でも買ってきたり頂いたりすると一つはお裾分けで仏壇の前に置く。ボク自身もビワは食べるのも好きだけど、あの実の色が好きだ。
数年前に森の音さんに貰ったビワの苗木はすくすく育ってくれているが、花が咲き実をつけるのには、もう少し時間がかかりそうだ。

さて、連日のテアトル通い。この晩は傘をささない。その前に立ち飲みでナマを一杯あけてしまった。「ふ〜ッ、うまい!」帰り道の一杯はたまらんなぁ。
ウワサではなかなか評判がいいこの作品にはずいぶん期待していた。イラン映画だし、「運動靴と赤い金魚」のマジッド・マジディ監督作品。
結論を先に言うと「惜しいなぁ」。何とも惜しい。でも、お話しは凄くいい。心も打たれる。
だけど、主役の兄ちゃんがなぁ。後でチラシを読むと、このお兄ちゃんの年齢設定が17才になっている。でも、ボクにはもう少し上のように見えた。これが15才ほどに見えると、もっと素直に感情移入出来て映画を楽しめたのになぁ。
それに、これはほんとに無償の愛なのか? ラティフの思いは確かにそうかもしれない。でも、彼の行った行為は何の見返りも求めていないが、極めて即物的だ。もう少し幼い少年だったら、もっと実直な行為が取れたのではないかなぁ。

テヘラン近郊の建築現場が主な舞台。ここで下働きをしている青年ラフティ。
ある日、ケガをしたアフガン人の父親に代わってその息子ラーマトがやって来る。彼は大人しくて、口を利かない。でも、まだ身体が小さいラーマトには現場での過酷な労働はムリだった。そこで、現場監督のメマルはラフティがしていた下働きをラーマトにさせ、ラフティを現場を担当させる。今までの楽な仕事をラマートに取られたラフティは腹の虫が収まらない。それに、ラマートが準備するお茶や食事は他のみんなには大好評で迎えられる。ラフティは立つ瀬がない。ラフティはチャンスがあるごとにラーマトに嫌がらせをするようになるのだが...。
そんなある日、ふとしたきっかけでラフティはラーマトが女であることを知ってしまう。そして、ラフティの態度は一変する...。

ところが、ラーマトが買い物から現場へ戻ってくると、そこに居たのは調査官。ここではアフガン人を無許可で働かせることは無許可なのだ。荷物をそこへ置き逃げるラマート、追う調査官、さらにその後ろを走るラフティ。
ラフティの手助けもあり、何とかラーマトは逃げ切るが、翌日から働くことができなくなる。もうこの現場ではアフガン人を働かすことは出来ないのだ。
かつてラーマトが鳩にエサを与えていた場所で、ラフティは黒い髪どめを拾う。きっと彼女が落としていったのだ。
ラフティは彼女を心配して、アフガン人の集落に訪ねる。そこで彼が知ったのは...。

ラフティはとにかくバラン(ラーマトの本当の名前)を助けたくて仕方がない。彼女をこれ以上危険な仕事に従事させる訳にはいかない。
バランの父親はケガで働けず、建築現場を追い出された彼女は生計を立てるために、過酷で危険な仕事に従事していた。それは辞めさせなければ。
ラフティは考える。彼はバランの笑顔をそばで見たいだけ。自分の彼女にしようとか、結婚したいとか、そんな考えはきっと無かったのだろう。本当は彼女に現場に戻って来て貰い、前のようにお茶や食事の準備をしてもらいたかったのだろう。でも、それが叶わないのなら、せめて危険な目から彼女を遠ざけたい。そう思ったんやろな。

婚姻や血縁・地縁で結ばれていない男性と女性が親しく口を利く。そんなことは御法度なイスラム法のこの国で、ラフティの思いはストレートに表現できない。そして伝わらない。
この映画でラフティはバランと会話するシーンすら無いのだ。
それだけに、この映画の冒頭でラフティが公園でふざけあう男女の姿を足を止めて見守るシーンが印象に残る。

ラフティの思いが最も近づいたと思われたその刹那。バランは一瞬微笑んで、ブルカ(チャドル?)を被り走り去って行く。
この二人は、きっともう二度と逢うことはないんやろな。何か初恋にも似た、そんな淡い思いをラフティの胸に残したまま...。
でもね、ラフティの爽やかなところは、おそらく彼には「悔い」は残っていないところか。ラフティは現状の彼がなし得る全てをしたのだ。それに対してラフティは超えられない壁を感じたかもしれないけれど、誰にも知られず、自分だけの満足は得たのではないか。そんな爽やかさを感じた。

成就する恋も美しいが、例えそれが実らなくても一途に全力を注ぐ恋も美しい。たとえそのベクトルの方向が間違っていても。

そこそこのおすすめ。もうしばらくテアトル梅田で上映しているはずです。
バランはたった一言も喋らないけれど、瞳で物を語れるすごい少女です。

おしまい。