「ギャングスター・ナンバー1」

憧れにも似たコンプレックスはトラウマになる


  

関西ではここ、心斎橋にあるシネマドゥでのみの上映。へんてこな時間設定。まるで、ボクに観られるのを拒絶しているかのような印象すら受ける(そんなワケないか)。金曜の夜に行って来ました。週末なのにたったの4人とは淋しすぎる。
「ロック・ユー!」で記憶の片隅に残り、「ビューティフル・マインド」で亡霊(?)役をこなし、「キス★キス★バン★バン」では主人公の弟子役で活躍した。そんなポール・ベターニの主演作。この人、これからも要注意だと思います。

憧れにも似たコンプレックスはトラウマになる。そんな映画。

しかし、そんな主題はオブラートにくるまれていて、ストレートに表現されない。だから、観終ってすぐはどんな意味があるのか訳がわからなくて混乱するけど、後になってじわじわっとわかってくる。ある意味味がある作品。

街のチンピラをしていたポールは、その手腕を認められてフレディの子分になる。フレディは悪徳警官殺しで表社会からも裏社会からも一目置かれた存在なのだ。ポールはフレディの一挙手一投足に憧れの視線を向ける。仕立てのいいスーツ、手縫いの革靴、品のいいネクタイピン。そして初対面の女を口説くソフトな話術...。
しかし、自分にないものに対する憧れは、いつしか嫉妬となる。
ポールは、ふとしたことで手にした敵対組織のフレディ襲撃暗殺計画をフレディには伝えない。この暗殺計画を自分が利用しようと考えた(しかし、この敵対組織のゴリラ親分の品のなさにはまいった)。
そして、ポールの計画どおりに事は運び、フレディは刑務所へ、彼の組織はポールの掌に転がり込んできた。
ポールは自分の組織を大きくし収益を上げることに心血を注ぎ、それに成功する。裏社会でのし上がり、名士として認められた晩年、フレディの刑期満了に伴なう出獄するとのウワサを耳にする。
ポールは超えることが出来なかったフレディの存在を思い出す。
本来なら30年の服役中に二人の立場は大きく入れ替わっているはずだった。なのに、昔の仲間はポールではなくフレディを選び、女も自分を見下しているではないか。所詮自分はフレディが不在のあいだのお飾りに過ぎなかったのか。取り残された自分にポールは唖然とするしかないのだ。

(このシーンに限って)用意周到に張り巡らされた演出の手腕が発揮されている。本当は余裕綽々の態度でフレディと再会するはずだったのに、不覚にもソファでうたた寝をしてしまい、その寝起きに彼と会うはめに。髪には寝癖がつき、衣服は乱れ、組織の親分としての威厳などない。フレディにお茶を入れる取り巻きもポールにはいない。再会した瞬間から、二人の主従関係はまた元通りになってしまった。
ポールが奪い取り、心血を注いだ組織にフレディは全く興味も示さなければ価値も認めない。この二人の再会は全く歯車が噛み合わない妙な会見になってしまった。ポールはこの日のために、追い越せ追い抜けと頑張ってきたのではないのか? 30年かかっても結局何も変えられなかった、ポールの背中にはそう書いてあった。

こう書いていくと、まるで東映のヤクザ映画の亜流のようなストーリーに思える。でも、はっきり言ってそこまでも行っていない。観る側を納得させるものをこの映画は持っていないような気がする。
それは、この映画が恐ろしくスマートさに欠けるからだろう。ポールの執拗なまでの残虐性を、これまた執拗なまでに追うカメラ。果たしてこんな演出は必要だったのか? こんなシーンは一瞬の描写や暗示、一言のセリフでスマートに処理すべきだった。フレディが入獄している30年をあっさりと描いたように。そうしないと、ポールのランニング姿が怖すぎるよ。
また、フレディを一人の俳優(デヴィッド・シューリス)が通して演技したのに対し、ポールは二人が演じ分ける必要があったのだろうか? 晩年のポールを演じたマルコム・マクダウェルが悪いとは言わないが、落差が大きすぎたように思う。さらに晩年のポールは、フレディが現われるまでほんとうにビッグだったのか? 冒頭のシーンひとつ取ってみても、ある程度裏社会で成功したのかも知れないけれど、世間からは小馬鹿にされていたようにしか思えない。ここはポールの成功をもう少し側面から描かないと、ポールとフレディの30年目の再会時の逆転劇が鮮明にならないょ(惜しい)。
そして、最後にフレディ。この人(デヴィッド・シューリス)が悪いとは言わないけれど、フレディの持つカリスマ性を体現できるもう少し花のある役者さんを起用すべきではなかったか。ちょっと重みに欠けると言うか、どうしてこんな人にポールは憧れるの? って素朴に疑問を持ってしまいます。

同じテーマ、ストーリーでも、意味もなく残虐なシーンを止めて、もっと軽いノリでコメディ風に作った方がずっといい作品になったと思うし、興業的にも成功したのではないかと思えます。それとも敢えて、シリアスな実録風にしなければならない理由があったのでしょうか。例えば、この作品のベースが実話で、日本では知られていないけれど、英国ではポールもギャングスターも認知度が高い人物であるとか...。

若き日を演じるポール・ベターニは相変わらずの怪演。この人の狂気の宿った目つきは一見の価値があります。一度ホラーものに出てもらいたいほどですね。また、彼のスーツ姿はなかなか決まっています。古い時代の細身で紺系ダークスーツ、これは素直にカッコいい!

今週一杯上映中です。お時間があればどうぞ。

おしまい。