「アバウト・シュミット」

ある日を境に週休7日


  

去年の夏に「プレッジ」というショーン・ペン監督、ジャク・ニコルソン主演の映画が公開されていた。ジャック・ニコルソン演じる刑事が定年退職を迎えるその日に殺人事件が起き、退職後もその事件を追うというお話し。
今回、同じなのはジャック・ニコルソンが定年を迎えることだけ。「プレッジ」では定年退職後も輝いていた(狂っていた?)彼だけどこの「アバウト・シュミット」では、職場を去った後の彼は冴えない濡れ落ち葉。観ているこちらも一抹の淋しさを覚えるほど。
この落差はそのまま彼の演技の幅とも言えるけど、リタイアした後に生きていく目標があるかないかの差でもありそうだ。これは「プレッジ」を観たときにも思ったことだけど。以前は、定年退職なんて遥か彼方先の出来事だと思っていた。けれど、今となっては充分予測できる範囲内にある出来事になったのかもしれない。ある意味、今からその時に備えて準備が必要な事柄の一つとなっている。まぁ、もっともそれまで今勤務している職場が存続していれば、のことだけどね。

シュミット(ジャック・ニコルソン)はその日の5時を自分の専用オフィスで迎えようとしている。そこにはダンボール箱に詰められた資料が積まれている。そして、部屋の時計が5時を指し、彼は静かにそのオフィスを出て行く。
翌日、いつものように目覚めた彼は、目覚めること以外もうやることがない。するべきことがないのが羨ましいと思うのは、しなければならないことに追い立てられている人が思うことであって、そんな人でもある日を境にいきなり「週休7日」になってしまえば愕然とするものなのだろう。

この映画のテーマがなかなか見えてこなかった。しかし、ラスト付近でようやくおぼろげながら理解できた(ような気がする)。それは「自分の役割を理解する」ということなのではないか。
リタイアした瞬間に、自分は役立たずになってしまったという寂寥感に襲われる。でも、人はそんなものではない。例えリタイアした人でもその人に与えられた役割は必ずあるものだ。その瞬間には自分の役割が見えなくなっていたり、気が付かなかったりするだけ。
シュミットはリタイアした後に、様々な出来事に直面しながら、そして巨大なキャンピングカー(バス?)で旅をしながら、自分の役割に気が付き、理解する。
そして、大切なことはシュミットがこの自分の役割を「受け入れた」ことなのだ。

リタイアしてから数週間後、元のオフィスを訪ね、自分の存在を否定されてしまう。その上、長年連れ添った妻に突然先立たれてしまう。一人娘の婚約者は気に喰わない。そう、何もかも気に喰わないことばかりだ。どうして、俺がこんな不幸の集中砲火をあびなければならないのか、理解できない。
そんな時に彼の心を和ませたのが、アフリカに住む孤児の親になることだ。彼のためにせっせと小切手にサインする。そんなこと書いても理解できるはずはないのに愚痴をしたためた手紙を書く。
だけど、資金だけを提供する里親になることは所詮現実の世界からは離れたものだ。彼はなんとか気に喰わない婚約者との結婚を阻止しようと、娘が住むデンバーに向かう...。

果たして、ハッピーエンドなのか? あの披露宴でのスピーチで、彼は全てを許し受け入れたのか?
でも、そんなことは関係なく時は流れ、世の中は動いて行く。
一人の人間の人生とはそんなものなのかもしれない。自分の役割が理解できたところで、所詮一人の一生なんてちっぽけなものに過ぎない。
十二分に人生経験を積み、酸いも甘いも味わってきたリタイア組でも、自分に与えられた役割の気付いてか気付かずか、もがき苦しみ、抵抗する。そしてやがて達観するのか(もちろん達観出来ない人もウンといらっしゃるでしょう)。

明るさや、面白さは少ない作品。にも関わらずこれだけのお客さんを呼べるのは、この作品に何かを感じさせるものがあるのでしょう(若いお客さんも多かったしね)。ほんとは、もう少しコメディタッチで描いて欲しかったような気もします。
もうしばらくOS劇場で上映されているようです。興味があればどうぞ。

おしまい。