「沙羅双樹」

この映画は反芻を要求する!


  

先日カンヌ国際映画祭があった。そのカンヌのコンペティション部門に出品された20作品のうちの一本が、この日拝見した「沙羅双樹」。
数年前のカンヌでカメラドール(新人監督賞)を受賞した 河瀬直美監督の新作。ボクはこの監督の作品を観るのは始めて。上映に先立って監督と主演の二人が舞台に上がった。五日前にカンヌから戻ったばかりだそうだ。

(失礼ながら)実物はそう印象に残らなかったけど、ヒロインの夕(ゆう)演じる兵頭祐香は画面の中では飛び抜けた存在感を持っていた。まだまだぎこちなさは残る演技だけど、この子は今後化けるかもしれない。そんな気がする。
この作品、興行的にはどうなのかわからないけど、観終わって随分時間がたった今となっては、なかなか良い映画だと思える。上映終了直後には「なんとも、わからない映画だ」と感じたんだけどね。

映画の冒頭、双子の少年が奈良の市街地を走りまわる。そして、唐突に片方の男の子が姿を消してしまう。なんと「神隠し」に遭ったと言うのだ。
その理解できない事態に、ボクの頭の中ではカンカンと警報が鳴りはじめる。
やがて、ぼんやりと舞台の輪郭が見えてくる。

時は流れて少年は高校生になっている。彼は幼馴染の夕に恋とも呼べないような淡い気持ちを抱いている、彼女も悪くは思っていない様子。でも、映画はこのぎこちない恋の行方にはそんなに注意を払ってはくれない。少年の心の揺れの針先は、姿を消した兄に向けられているから。美術部にいる彼は、自宅で大きな絵を描いている。それは居なくなった兄の姿。
夏休みを控えたある日、地元で開催する祭りの打ち合わせが開かれる。祭りの実行委員長は父。この父が一筋縄ではいかない男。無職のプータローかと思った。日長一日家にいて、何をするでもなく寝転がってばかり。もうすぐ祭りの日。新しく市民の手で作ったこの祭りを、4年目にあたり住民も見物に来るお客さんも含めて全員が参加できる開かれたものにしたいと熱弁を振るう。
一方、夕は買い物の帰り道、何を思ったのか突然母親の口から自分の出生の秘密(?)を聞かされる(これは、いささか唐突だと思うし、このエピソードはその場限りで、後に生きていないように見えた)。夕はその話しを極めてクールに受け止める。
また、少年の母親は臨月を迎えている。大きなお腹をさすって家事をこなし、家庭菜園にも精を出している。

物語りは祭り本番と神隠しにあった長男の出現、そして母親の出産の三つのエピソードを絡めながら進んで行く。
祭りで勇壮で激しい踊りを披露する夕の姿は感動的(でも、彼女が練習する場面が少しぐらいあっても良かったのに)。急に降りだした驟雨のなか踊る姿は生き生きとして、生命感にあふれている。眩しいほどだ。父親がどこまで本気にこの祭りに取り組んでいたのかも、もう一つ伝わってこなかったから、最後にやぐらに登って絶叫するシーンも何だか宙に浮いている。
いきなり警察官が訪ねて来て長男が出てきたと告げられる。激しく動揺する少年の姿には力を割いているのに、その後、このエピソードは何も具体化して観客の前に姿を現さないのは不思議を通り越して「不明」とも言える。説明が何も無いまま父親は「ちゃんとする」という言葉を繰り返し、意味のわからない言葉を墨で書く。挙句に息子には「このことは忘れなければならない事柄なのだ」と諭す。
そんな中で唯一具象化されているのは、母親の出産。産院で分娩するのではなく、産婆さんを呼び自宅で出産する。このシーンがこの映画のハイライトであり、出演者の暖かい視線が交じり合うシーンとなる。
でも、今まで散々比喩や暗示で言葉を濁して事を運んできたこの作品が、このシーンに限って直截的な画像を克明に描写するのはどうなの?

多くのシーンが奈良の町屋を使い、本来極めて生活臭の濃い場所で撮影されているのに、なぜか画面からは生活感がほとんど感じられないのはどうしたことだろう。この三人家族にしろ、夕の母娘にしろ...。
だからセリフの一つひとつが上っ滑りしてリアリティさが感じられない。所詮(映画は)虚構の世界なのさと、観客が冷めてしまう。

でも、牛が反芻するように、こうして何度もこの映画を思い出してみると、監督が伝えたかったことはこんなことだったのではないかとおぼろげながらわかったような気がする(気にさせられる)。
それは「死んだり、居なくなった人(夕の父親や長男)の面影を探すのにエネルギーを使うのは辞めよう。自分のエネルギーは今か未来のためにこそ使おう」ということだったのではないか。だからこそ、夕は母から秘密を聞かされてもクールな態度でいられたし、父は祭りにこそ必死で、死んだ子(?)の年を数えることに無駄な情熱はささげない。それどころか一見そっけないように見えるけど、残った息子に忘れるように伝えたのか。
そして、新しく生を受ける赤ん坊こそ、実体のある、エネルギーを注ぐべき対象なのだと。

きっと観ないけど、本来は何回か観て(反芻して?)初めて理解できる作品なのかもしれませんね。
深いところで理解できなくても、兵頭祐香に会いにスクリーンに足を運んでみてください。

おしまい。