「おばあちゃんの家」

いつでも、山の向こうで待ってるよ


  

5/17土曜日に公開された韓国映画「おばあちゃんの家」。火曜の最終回で観てきました。
会場は梅田Loft地下のテアトル梅田。まだ人が多いかなと心配していたのですが、地味な作品だからか、思ったより少なくてちょっと拍子抜け。それでも、上映までにどんどん入ってきて、最終的には50人ほどだったでしょうか。

「催涙ムーヴィー」だと聞いていた。でも涙腺が弱いボクにしては珍しく、ちょっぴり涙が浮かんだだけだった。
それはこの映画がとてもドライに、クールに描かれていて、韓国の映画にありがちな「これでもか、これでもか」という過剰催涙強要演出がなされていないからだと思う。監督はこの作品にとても自信を持っていたんだな。そして、結果的にボクはそのワナにやすやすとはまってしまった。
ちなみに監督は、シムウナ出演の「美術館の隣の動物園」のイジョンヒャン(女性)です。

ソウルで暮らすサンウが母親に連れられておばあちゃんが住む田舎の家にやって来た。母親が職を探す間、夏の二カ月をこの家で過ごすために。
おばあちゃんは耳が遠くて、口がきけない。
そして、思いっきり田舎の村で、思いっきりおんぼろな家で一人で暮らしている。

都会で好き放題、我儘放題で生活してきたサンウにとって、初めて会うおばあちゃんとの生活は退屈でうんざりするものだった。サンウはおばあちゃんをバカにしてここでもワガママばっかり。おばあちゃんを困らせる。
このおばあちゃん、やせ細り腰が曲がって、歩くにも杖が手放せない。セリフだってひとつも無い。
でも、凄い。凄いおばあちゃんなんだ。
最初、おばあちゃんがサンウのことやその母親(おばあちゃんの娘ね)をどう思っていたのかはわからない。でも、おばあちゃんは何も言わず、何も聞かず、サンウを無条件に受け入れて、そしてサンウを愛している。「無償の愛」なんて、言葉で書いくのはとっても簡単。だけど、そんなことは超越した境地に彼女はいる。

ボクにとって、この映画は観ていた時よりも、こうしておばあちゃんのことを思い出しているときの方が、感動が大きい。何度も、何度も。

サンウはじっとしていない。そしていろんなことをしでかしてしまう。
そんなサンウをおばあちゃんは、怒ったり叱ったりしない。それどころか、なんとかしてサンウを喜ばせようと努力する。そんな姿がいじらしく、その努力のベクトルが少しずれているところが微笑ましい。
サンウのゲーム機を紙で包む。ボクもサンウも思った「何をしてるんだ?」って。でも、その紙に一緒に包まれていた2,000ウォンを見たときに、ほろっとした。おばあちゃん、この2,000ウォンのために街から歩いて帰ってきたの? やがて、サンウは少し変わる。ほんの少しだけ変わる。

食事のシーンが印象的だ。
最初はおばあちゃんが作ってくれた食事には見向きもせず、母親が持たせてくれたジャンクフードだけを食べる。それが無くなると、おばあちゃんにケンタッキーが食べたいとせがむ。すると、おばあちゃんは鶏が食べたいのだと思い、どこからか生きたニワトリを仕入れてくるのがおかしい。そうしておばあちゃんがこさえたの鶏の丸煮。「こんなんじゃない」とむくれるサンウ。街の食堂でサンウに麺を食べさせる。そのときおばあちゃんは何も注文せずにお茶をすすっている、でもその姿を見ているおばあちゃんは幸せそうな顔だった。おばあちゃんが熱を出して朝起きあがれない、そんなおばあちゃんおためにサンウがままごとのように食事を並べスッカラ(お匙)を探す...。

おばあちゃんが寝ている間に、何本も針に糸を通す。クレヨンを持って何やら書く。

サンウがおばあちゃんに絵葉書を渡す。「いつでも、山の向こうで待ってるよ」
ジーンとしました。

仕事に疲れて、気持ちがすさんでいる時にこそ観てもらいたい!
もうしばらく、テアトル梅田と心斎橋シネマ・ドゥで上映しているはず。おすすめです!
能書きを読むのはいいから、とにかく劇場へ!

おしまい。