「古井戸」

長く余韻を残す


  

お正月寒波が一段落して、それほど震え上がることもなくなった。やっぱり暖冬傾向なのかな。
三連休の初日は、六甲を歩いた汗を有馬温泉で流してから九条にやって来た。開催中の「中国映画の全貌2002-3」を観る。
今回ご紹介するのは「古井戸」。あの「變臉(へんめん)」の呉天明監督が1987年に撮った作品。主演はなんと張芸謀(この人俳優もしてたんだ、本作では撮影も担当)。旺泉(張芸謀)の相手役、巧英が垢抜けないものの逞しさを感じさせる美少女を好演している。
なんとも言えない、悲しく切ない(それでいてどこか可笑しい)作品だ。そして恐ろしいほど長く余韻を残す映画だ。

出だしがいい。
何か祭りの日の昼下がり、村の広場では村人が総出で催し物を楽しんでいる。そこへどこかから巧英が戻ってくる。衆目の中、巧英は旺泉の隣りに腰を掛ける。そして、村人達は誰もが認めているこの微笑ましい恋人同士のカップルを暖かい表情で見守っている。しかし、その中に冷ややかな眼で二人を見つめる赤ん坊を抱いた女。
これがいったい何を暗示しているのか。

旺泉の住む老井村は山に囲まれた寒村。この村はただの寒村ではない。井戸がない。水がない村なのだ。この村の住民は10キロも先にある井戸まで水を汲みに行かなければならない。そのためにこの老井村には嫁の来手もないありさまだ。
この映画は、旺泉と巧英の恋の行方と老井村の井戸掘り、その二つのエピソードが深く絡まりあいながら進んでいく。
このところ北京が舞台の映画を観ていたので、この山西省の寒村は新鮮。巧英が町からテレビを持ってかえってくるが、山に囲まれたこの村では電波が届かなく、何も写らないエピソードも面白い(でも、電気は通じているんだ)。
そして、バケツを二つ天秤棒に下げて5キロの道を往復する姿は、何とも言えない。

老井村の人々は手をこまねいているわけではない。もう何代にも渡って井戸を掘り続けている。めぼしい場所には幾つも空井戸が掘られている。そして井戸を掘る作業中に命を落とした村民の数も少なくはない。旺泉の父親も作業中に落命してしまう。
もう枯れてしまった古い井戸の使用権を巡り、隣り村と大乱闘を繰り広げる。 引退間近の村の共産党支部長は、旺泉に県の水利局で講習を受けさせ自分の在職中になんとか井戸を掘り当てようと懸命だ。

新しい井戸を掘る先頭に立つことになった旺泉。
彼を支える巧英と喜鳳の二人がいじらしいし、ふたりの鞘当ても凄い。この二人の姿が激しい視線の交錯で描かれ、二人が言葉を交わすこともなければ、取っ組み合いをする訳ではない。新しい時代の息吹を感じさせる巧英と封建的で夫に尽くす昔気質の喜鳳の対照的な姿も良くできている。

そして、いきなりクライマックスが訪れる。
新しい井戸の現場で起こる落盤事故。井戸の中に取り残された旺泉と巧英は...。

広い中国には北京や上海だけがあるのではなく、老井村のような村もある。そして、そこに住む人の数だけ恋のエピソードがあるんだろうなぁ。
2時間少しの映画ですが全くその長さは感じさせない見せる作品。政治色もちっともなくて、井戸と恋のエピソードが非常に上手く絡まっている。いいよ。オススメの作品です。
喜鳳の控えめながら勝ち誇ったような視線と人の存在を無視するような中国の圧倒的な自然の威圧感がなんとも言えずイイんです。
風格のある映画ですね。

おしまい。