「秋菊物語」

鮮烈なトウガラシの赤


  

今回ご紹介するのは「番外編」。
以前から観たいなぁと思っていたチャンイーモウ監督の「秋菊物語」。君蔵さんがビデオをお持ちだという情報をキャッチして、さっそく借りて拝見しました。
家のビデオで映画を見るのはなんとも久しぶり。
少し前に観た「「あの子をさがして」が出来るまで」でチャンイーモウが、盛んに「“秋菊物語”のときは...」と言っていたのが印象に残っている。いったいこの「秋菊物語」はどんな映画なのか?
見る前に思っていたタイプの映画とはまるで違った。恋愛をテーマにしたどろっとした人間ドラマかと思っていたら、「正義の行方」のような人間性と法律の矛盾を描いた正統派(?)の人間ドラマだった。中国でなくても、日本でも起こりうる問題を扱っている(まぁ、日本だったらここまでする人はあんまりいないだろうけどね)。

陝西省のとある田舎が舞台。ここの農家に嫁ぎ、お腹が大きい秋菊(コンリー)。ある日、お腹をゆすりながら村長の家を訪ねた。
「家の主人の大事なところを蹴ったそうだけど、どんな了見なのか。謝罪しろ!」と、まぁ怒鳴り込みに行ったわけだ。村長は取り合わない。「俺がお前の旦那を蹴ったのはそれなりの理由がある」と言うわけだ。
そんな村長の態度に腹の虫が収まらない秋菊は近くの街に出掛ける。ここには警察署がある。秋菊の村を担当している巡査に相談する。巡査が下した結論は「双方に悪いところがあるが、蹴ったのは良くない。村長が治療費と休業補償で200元支払い、謝罪する」というものだった。ところが、村長は秋菊に対して「金は払うが、謝罪はしない」と言うだけでなく、お金を地面にばらまき「頭を下げてそれを拾え」と言う。秋菊はお金を受け取らず帰ってしまう。
彼女は街からバスに乗り郡(県より上の行政単位)に出掛ける。ここの公安に訴えて、なんとか決裁を依頼する。ところが、郡の公安の決裁は秋菊のところに通知が来ず、村長の手許に届く。しかも内容は街の巡査が下したものと一緒だ。
満足できない秋菊は再審を依頼するために、更にバスに乗り市まで出掛ける。ここの公安局長に知り合うことが出来、秋菊は自分の訴えを聞いてもらう。後日、局長が下した裁定は「謝罪と250元の支払い」。村長はまたしても金は払うと言うが謝罪の言葉は一言も無い。
秋菊は面子を重んじて頭を下げない村長に対してやりきれない思いが一杯。お金の問題ではなく、悪いこと(暴力をふるった)をした村長が、どうして謝らないのか、この一点でのみ「筋を通したい」と思っている。
この村長、決して悪い人間ではない。それは彼女にもわかっている。
そして、秋菊は再び市まで出向き、正式に裁判をして欲しいと依頼する...。

ここまで来たら「ちょっとあんたやりすぎやで」という世界だけど、秋菊にも意地があるんだろう。彼女には難しい主義主張があるわけではない。ただ、自分は正しいと思っていることを、どうして村長をはじめ他の人は認めてくれないのか、それに公安と村長が結託して庶民の味方は決してしてくれないという思い込みもある、そのことにどうしても納得がいかない。とことん争って「自分が納得したい」という気持ちだけだ。
そして、裁判で何が論点になっているのかは彼女自身も理解できないし、公判中に被告席に局長が座ることも納得出来ない。そして、この結果がどういう結論を招くのかもわかってはいなかった(もちろん、この映画を観ているボクたちにも)。
だからラストは衝撃的。言葉を失う。

法律が持つ「非情」さに驚く。誰がこんな結末(話の展開)を予想するだろう。
表向きのこの映画の筋立ては「法治国家である中国は裁定に不服なら何度でも上訴することができる、そんな仕組みが整備されている」そして役人だろうと悪いことをすれば公平に罰せられる、と言うことだろう。でも、実際に法律を運用している執行官(この場合は村を担当している巡査)は、実情に合わせて弾力的に法律を解釈し、面子を重んじる人にはそれが立つように、実利を欲しがる人にはそれを与えるようにしている。
でも、民事で争っていたこの事件がいつの間にか公になり、刑事事件にすりかわってしまう、ここにちょっとした怖さが潜んでいた。
もし、もう少し巡査が村長に意見して、秋菊・村長・巡査の三者で話し合う席を設けていたならばここまで話は大きくならなかっただろうに...。この争いで得をした人は、結局誰もいない。そして虚しい。

郡や市に出掛ける交通費を工面するために秋菊が義妹と一緒にトウガラシをリヤカー一杯積んでいく。その赤がなんとも言えない。意地の張り合いはあのトウガラシのように辛いということか...。
印象深い作品でした。一度スクリーンで観たい作品です。

おしまい。