「ダーク・ブルー」

自由に空高く飛ぶヒバリになりたい


  

この週末は崩れるという予報だったので、山歩きの予定を入れなかった(心の準備をしていなかった)。すると、土日ともにまずまずの晴天でちょっと悔しい。もっとも土曜は時折時雨れていたし、日曜は冬のような木枯らしが吹き寒かったので、山へ行かずに正解だったかもしれない。この冷え込みで、関西のお山にも紅葉が一段と近づいたかな。

そんな時雨模様の土曜の夕方に観たのはチェコの映画「ダーク・ブルー」。
最近よく映画の舞台になるチェコ。チェコのフィルム・コミッションが熱心にハリウッドへプロモーションをしているそうだ。ロケの費用は、米国で同じようなロケをする場合に比べて0(ゼロ)の数が一つは違うらしい。
今回はロケ地がチェコではなく、チェコ人の物語。

第二次世界大戦でナチス・ドイツが東欧に侵攻後、早い時期にチェコは降伏してしまう。その際、一部の空軍の将兵はそれを潔しとせず、英国へ渡り、連合軍の一員としてナチスと一戦を交えていた。やがて世界大戦が終結し、活躍した将兵たちは母国に帰還するが、東側陣営に組み込まれた祖国では歓待されるどころか、彼らが再び自由を求めて闘うことを恐れ、教育キャンプ(強制収容所)へ送り込んでしまう。
この収容所で病に倒れたパイロットで元空軍将校のフランタが、天高く飛ぶヒバリのさえずりを耳にしながら回想するシーンからこの映画は始まる...。

フランタは部下であり、信頼できる同僚でもある若きパイロット・カレル少尉とコンビを組んでいる。イギリスでの長い訓練と待機を経てチェコのパイロットたちにもようやく出撃の日がやって来た。
そんなある日、カレルは被弾し、のどかなイギリスの田園地帯に墜落してしまう。命からがら脱出したカレルは救援を求めた民家に住む美しい人妻に介抱される。彼女の夫は海軍の将校で、もう1年も行方不明のままだという。まだうぶなカレルは一目でスーザンに恋してしまう。
無事に基地へ戻ったカレルは、休日にフランタと共にスーザンを訪問することにした。彼女に自分の思いを告白しようとしたカレルだが、スーザンが恋した相手はカレルではなく、フランタ。でも、そのことにカレルは気付かない...。

刻々と進みゆく戦況、空に散り戻らないチェコ人パイロット。カレルとの友情、スーザンとの逢瀬の行方...。そして、時折織り込まれる収容所にいるフランタの悩める姿...。

出撃の際の高揚感はもちろん、突然訪れる友の戦死という喪失感でさえ懐かしい。そして、カレルとの友情はもちろん、彼との友情を踏みにじってしまった心の苦しみさえもが、掛替えも無い美しいものとして、今のフランタの心によみがえる。
「一体、俺は何を手にするために命を賭けて戦ったのか」看守が居眠りをする隙に作業の手を休めて、壁の向こうから聞こえてくるヒバリの音を聞きながらフランタはそう考えていたのではないでしょうか。

見方によっては、男の友情と三角関係が混じった戦争映画、ボクは未見だけど「パール・ハーバー」もそんな筋だったように思う。だけど「パール・ハーバー」とこの映画の決定的な違いは、この戦争がチェコという国やフランタにもたらしたものは、一体何だったのかという切り口だと思う。
収容所でのフランタのうつろな視線の先にあったのは「虚無感」以外の何物でもなかったのではないでしょうか。
そして、チェコ戦後史の中でタブーとされていた空軍将兵たちの存在が、ようやく日の目を見ることができた事実が大きい。この矛盾に満ちた時代に翻弄されたフランタの姿が悲しいです。

空中戦のシーンは、観ているこちらが拍子抜けしたしまうほど淡々と描かれる。当時の戦闘機はハイテク機器を満載した現代のものから見れば随分とアナログ的とも言えるのだろう。だから当時の空中での戦闘は視覚とカンに頼ったこんなものだったのかもしれない(もちろんボクは体験したことがないのでわからないけど)。
しかし、墜ちていく友軍機を見送るつらさは、心に重く伝わってくる。
戦争とは、今そこにいた友人が急にいなくなり、もう二度と会えなくなってしまうことなのかもしれない。

11/16から梅田ガーデンシネマで公開されます。
宮崎駿さんが「観るに値する良い映画です。」とおっしゃっています。そう言い切れるほど「良い映画」かどうかはわからないけれど、少し考えさせてくれる作品であることは確かです。
フランタ役のオンドジェイ・ヴェトヒー、カレル役のクリシュトフ・ハーディックはなかなかの好演。それにフランタの愛犬もいいですよ。

おしまい。