「桜桃の味」

心に訴えかけてくる何かがある映画


  

前にもちらっと書きましたが。先日の新聞に「京都朝日シネマが来年の1月で閉館する」と伝える記事がすみっこに小さく載っていた。「京都朝日シネマよお前もか...」いやいや、淋しい限りですね。

今回ご紹介するのは、イラン映画の「桜桃の味」。
会場は年内一杯で惜しまれつつ閉館が決まっている扇町ミュージアムスクエア。ここでは新作の上映はすでに終っており、現在は過去の旧作を「日替わり」(でもないけど)で上映している。今は海外編で4つの配給元が選んだ過去の名作を上映。今回の配給元はユーロ・スペース。もうすぐ邦画編がスタート。その時には岸恵子の「約束」も上映されるらしい(楽しみだ)。

97年のカンヌ映画祭パルム・ドール(グランプリ)受賞作品。
そんなこととは関係なく恐ろしく「眠い映画」だ。そして「悲しい映画」でもある。

この映画のおよそ9割はクルマの中。古いローバーの四輪駆動者を運転している男(主人公)の横顔がひたすら画面に映し出される。男は運転をしながら誰かを捜す。そして捜しあてた男をクルマに乗せハンドルを握りながら語りかけるのだ。
この男は誰を捜しているんだろう。それは映画が進むにつれ、徐々に明らかになっていく。
この男は自殺しようとしている。どうして自殺なのか、それはわからない。この男なりにさんざん考えて、その結論が自殺なのだ。そして、探し当てた男たちに自分の自殺の手伝いをしてくれと依頼する。もちろんタダでとは言わない、ちゃんと報酬も用意してある。

まず、道すがら男は説明をする。こんな仕事なのだと。そして、自分が用意した場所へ向かうのだ。そこは荒れ果てた荒野が広がる山の中腹。そのハゲ山を縫うように舗装されていない車道が曲がりくねりながら続いている。その途中からはテヘランの街並が一望できるのだ。
すでに男はそこに穴を掘っている。
「今夜、ここで睡眠薬を飲んで横たわるから、明日の夜明け前にここに来て欲しい。そしてボクの名前を二度呼んでくれ。もし、返事をすればこの穴からボクを出してくれ。そしてもし、返事が無ければシャベルで20杯、土をかけてくれ」

まず最初に男が捜し出したのは、まだ17歳かそこらの若い兵士。この兵士は男から話しを聞いただけでびびってしまい、すっかり逃げ腰だ。そして、とうとうクルマから逃げ出してしまう。
その次はアフガニスタンから来た神学校に通う20歳過ぎの青年。この青年は「自殺は神も禁じている行為だ」と男への協力を拒む。
そして、最後に男がクルマに乗せたのは老人。(この老人がどういうプロセスを経て男のクルマに乗り込み、男の依頼を聞いたのかはわからないが)老人は金のために男の申し出を受け入れている。男と老人は、男が掘った穴まで行き、男が指示した手順の確認を終え、老人の勤務先まで送り届ける途中だ。
クルマは荒れ果てた山道(しかもひどく乾燥して土煙がもうもうと上がる。木も草もほとんど生えていない)を走る。
今まではほとんど独りで喋りつづけていた男だったが、今回ばかりは聞き役。この男、本当は必要以上のことは喋らないのだ。

老人は、時に淡々と、時に切々と語りかける。

「引き受けたからにはちゃんと仕事はするよ。だけど、どうして自殺なんだ? 思いとどまることはできないのか?」とこの老人はバディに話し掛ける。
「そう言えば、まだ若いころ俺も自殺しようと思ったことがあった。生活が苦しくて、どうしようもなくなった...」「ほんとに、自殺しかないのか? すべてを拒み、忘れてしまうのか? そしてこの美しい緑や太陽の光、水の音、かわいい子供の笑い声、そして桜桃の味さえもお前は忘れられるのか?」

傍観者のボクにさえ、その語り口が先の若い兵士や神学校の学生とは比較にならないことがわかる。一言一言が重くて、意味があり、深みがある。そして心にしみ入るのだ。
無視をしたり、相槌を打ったり、返事をしたりする男の口調や態度はかたくなな中にもわずかながら変化がうかがえる。
そして、老人が勤める博物館の前にクルマが着く。男はそんな自分の心の変化を振り払うかのように老人に彼が引き受けた仕事の内容を声に出して復唱させるのだ。

そう。
正直言って、何がなんだかよくわからない。
でも、心に訴えかけてくる何かがある映画でした。次回はいつどこでこの作品が上映されるのかはわかりませんが、この不思議な味わいを是非スクリーンで味わって下さい。

おしまい。