「この素晴らしき世界」

「生きる」ということは、どんな意味を持っているのか


  

会場を新梅田シティからナビオ横にあるOS劇場C・A・Pに移す。しかし、休日の梅田の混雑振りは凄いねぇ。なんか人の波に飲まれそうで、ぞっとしてしまいます。ぞっとしながらもその人波に紛れ込むしかない。こんな天気の日には野原を歩いていたいのに...。

観たのは「この素晴らしき世界」というチェコの映画。休日の昼間。座席は2/3ほど埋まっている。
これが、衝撃的な作品。

「生きる」ということは、どんな意味を持っているのか。そんなことを考えさせる映画。

もう語り尽くされたとさえ思ってしまうナチスのユダヤ人への虐待(それでもまだこれだけのストーリーが隠されていたのだから底が深いというか何と言うか...)。民族としてのチェコ人の誇り、人間としての価値観・判断。そして「生きる」「生き残る」ことへの渇望。この四つの要素が絡み合って出来あがったのがこの映画。
タイトルが「この素晴らしき世界」と言うのはなんという皮肉。
主人公夫妻がヨゼフ、マリア。そして匿われるユダヤ人の青年がダビデという。映画を作った人たちの意図がはっきりと伝わってくるようだ。

果たして、これはハッピーエンドなのか。これからヨゼフは幸せな人生を送っていけるのか? そんなことが、余計なこととは知りながら心配になってしまいます。

全編を通しての語り口は、決して深刻であったり、湿っぽかったりはしていない。それどころか、むしろ明るくユーモアたっぷりに物語は進んでいく。
でも、この明るい語り口の裏にはとんでもない悲惨さが隠されている。

ヨゼフとマリアはチェコの小さな街に住む夫婦。幸せに暮らしているが子供がいない。第二次世界大戦でこの街もナチスドイツに併合され、ユダヤ人狩りが始まる。ヨゼフがかつて働いていた職場の社長も強制収容所に送られる。そんなある日、この社長の息子ダビデがヨゼフの前に現れた。ダビデは収容所から逃亡してきたのだ。
ユダヤ人を見かけことを報告しなかっただけでも厳罰が下されるこの時代に、ヨゼフはダビデを自宅の隠し部屋で匿うことにする。それは、人助けだけという気持ちだけではなく、ダビデの存在そのものが自分に厄災をもたらさないために、匿うしかなかったのだ...。

ヨゼフのかつての部下にホルストという男がいる。彼はドイツ人の妻を持っている。チェコにおいて微妙な立場にいるのだが、今ではドイツの威光を傘に着て、収容所に送られたユダヤ人の財産を管理する仕事をしている。
そんなホルストは何かにつけヨゼフの家へやって来る。彼はヨゼフの妻、マリアに気があるのだ。彼が持ってくる手土産は手に入りにくいものばかり。それをありがた迷惑そうに受け取る二人だが、気のいい夫婦はホルストの訪問を拒絶することはできない。
ある日、言い寄るホルストに手を焼いたマリアは「おめでたなの...」と言い訳をして、ホルストを拒むのだが。この口から出たデタラメが、思わぬ方向から後々二人を苦しめる。

「生きる」と言うこと、そして人間としての尊厳。そんなことを考えさせてくれる作品です。そして、もちろん戦争という愚かな行為を起こすのも人間なんですけどね。
今まで観たことが無かった切り口で迫ってくる秀作です。東京では岩波ホールでの公開だったのも頷けます。お時間があれば是非ご覧になっていただきたい。そんなおすすめの作品です。

おしまい。