「ウィンドトーカーズ」

「それだけ」の映画


  

9月4日は月に一度ある「映画の日」(基本的に毎月第一水曜日・入場料金が1,000円均一)。そんなことをころっと忘れて劇場へ出かけたら凄い人でびっくりしてしまいました。会場はナビオシネプレックス。でも、8階にどーんとある大劇場ではなく、7階にある旧ナビオシネの方だったのでがっかり。座席は9割がた埋まっていました。映画の日とはいえ、ニコラス・ケイジ恐るべし。

時は太平洋戦争の真っ盛り。場所はソロモン諸島にあるガダルカナル島。ここで、エンダース(ニコラス・ケイジ)の部隊は日本軍の攻撃に遭い、彼以外は全員死んでしまう。エンダース自身も重症を負い、ハワイにある海兵隊の病院へ後送されたしまう。
エンダースはこの戦闘の時、上級士官の死亡により部隊を指揮していたのだが、けちな命令に従ったため退却しようと言う部下の進言を聞き入れず、彼以外は戦死するという惨事を招いてしまったのだ。エンダースの脳裏には今も苦しみながら息絶えて行く部下の顔がこびりついて離れない。
まだ怪我も治りきっていないのにエンダースは志願して最前線に戻って行く。

とにかく、冒頭から続く激しい戦闘シーンが凄い! 耳を劈くような爆発音と、銃撃戦の音、そしてときの声。一気にこの映画の世界に引き込まれてしまう。
もう麻痺してしまって、戦争が悪いことなのかいいことなのか、戦争がいかに悲惨なことで悲しむべきことなのかなんて考える余裕もない。ただ「この戦争から生き残って帰るためには、相手を倒すしかないのだ」そんなことが実感として画面を通してボクの脳裏に呼びかけてくる。

残念ながら、この映画は「それだけ」だ。

エンダースが入院している間に海軍は新しい暗号を作った。この暗号はネイティブアメリカンの一族である「ナバホ族」の言葉から作られていた。そして、この暗号を操れるのはナバホ族の通信兵だけだ。エンダースの新しい任務はサイパン島上陸・占領作戦に従軍してナバホ族の通信兵の護衛し、さらにいざという時にはこの通信兵を亡き者にして暗号の秘密保持にあたるという後ろめたいものだった。

この映画の狙いは、激しい戦闘の末にアメリカ軍が勝利することを縦軸にして、エンダースがガダルカナルで負った心の傷を克服すること、そして何よりもエンダースとナバホ族の通信兵との間に芽生えた友情と究極の任務遂行とを巡る心の揺れを横軸に描くものだったに違いない。
が、確かに縦軸は見事に描かれている。苦難の進軍もエンダースやナボハ通信兵の捨て身の活躍でなんとかサイパン占領まであと一歩までこぎつける。このあたりの描写はさすがだと思わせる。しかし、肝心の横軸がさっぱりだ。だから、映画としての肉付けが上手くいっていない、当然薄っぺらいお話しに終始してしまうのだ。
連続して続いていくエピソードがどれも細切れで、生きていない。
最初は任務のためあえてナバホと距離を置いていたエンダースが、だんだんと友情を結んで行くところや、一度は切れてしまった信頼関係がどのように復活していくか、その辺の「人間ドラマ」が無い。肩透かしを食らったような感じだ。もったいないなぁ。

凄い戦闘シーンに興味をお持ちの方にはおすすめですが、そうではない人にとってはどうでしょうか?
もうしばらくはナビオシネコンプレックスで上映しているようです。

次回は、またも試写会で拝見した「チェンジング・レーン」をご紹介する予定です。

おしまい。