「正義の行方」

いろいろ考えさせられる


  

何とも言えない酷暑が続いていますが、皆さんお元気でしょうか? 夏バテなどしていませんか?
私はなんとか生きています。

さて、今年も豊中平和映画祭にお邪魔しました。一昨年、去年に続いて三度目です。日本初公開の映画を上映するような派手な映画祭ではありませんが、粒よりの作品を上映してくれる手作りのいい映画祭です。今年は4日間にわたって開催され、その最終日の最終回に行きました。
今回観たのは、中国大陸の作品「正義の行方」。なかなか考えさせられる映画でした。

いろんな考え方があり、いろんな物差しがある。
日本人は米国寄り一辺倒で、考え方や物差しの多様性を「良し」としない部分がある。何かにつけアメリカに追随することが多い。でも、世の中にはいろんな考え方、物差しがあるのだ。
そして、それらを自分の考え方に合わないからと言って、アタマからし否定てしまうのはとっても危険だ。その立場や世代(国家・民族)によってそれらは違ってあたりまえなのだ。
今、世界はアメリカの考え方が一方的に押し付けられているのではないだろうか?
そんなことを改めて教えてくれるのがこの映画だ。

四川省の山の中にある忘れられたような寒村が舞台だ。
この村で30年にわたって中国共産党の支部長を務めてきた初老の男がいる。このカン老の治世でこの村は少しずつ豊かになってきて、中央からも何度か表彰されたことがあるほどだ。もう何年も刑事事件も民事事件も起こっていない平和な村。
だが、ある投書がきっかけになり、村を揺るがす事件が起きる。
県の中央から調査に検察官がやってくる。カン老が各種の犯罪を犯していると言うのだ。
村にやって来た検察官は、捜査を開始する。捜査はいろんな村人からカン老の話しを聞くことだった。若い女性の検察官は何人もの村人を呼び、カン老の実像に迫っていく。そして、彼女が知ったのは清廉潔白、無私無欲のカン老の姿だ。ただひたすら村のことを思い村民からも支持が篤く、また共産党の指示を忠実に実践しようとする支部長の姿だった。
しかし一方、その方法には投書に指摘されているような問題点が無いわけではなかった。その姿は悪く言えば独裁者であり、この村で行政・立法と司法・警察の権力を一手にした一人の人間だった。

旧弊を一掃しようと中央から派遣された検察官の悩みは深い。
カン老の手法は旧弊に他ならないものの、村は潤い村民からも慕われている。しかし、その手法は新しい考え方では否定されているのだ。彼を逮捕して新しい法の下で裁くことが正しいことなのか...。
そして、観ているボクも頭を抱えてしまう。

この映画はひとつのキッカケになればいいと思う。
時代や場所や世代によって「正義」という言葉の中身は異なるのだと。「正義」という言葉が意味するものは様々な種類があって、それを一つに限定するのはとても危険なことだと。
国際問題だけではなく、もっと身近な問題についてもさえ考えさせられる作品です。
次はいつ上映されるかどうかはわかりませんが、チャンスがあれば一度ご覧いただきたい作品ですね。

おしまい。