「ノー・マンズ・ランド」

とてもやるせないお話し


  

アカデミー賞で外国映画賞を受賞した作品だ。
水曜のレディースデイということもあってガーデンシネマは7〜8分ほどの入りとにぎわっていました。いつもこれくらいの入りならいいんだけどね。この日は台風の影響で空気が入れ替わって、梅雨時らしくないさわやかな夕風が吹いていました。

なんともやるせないお話しだ。
どうして人間は殺し合いや戦争を起こしてしまうのだろう。そして、起きてしまった戦争を解決すべく投入される国連の平和維持軍の無能ぶりにもあきれてしまう。
この映画は何の予備知識も持たずに観ると、ちょっと難しいので、前もって旧ユーゴでここ10数年に亘ってどのような民族間紛争が起こってきたのかをざっとおさらいすることをおすすめしておきます。

この映画は、戦争そのものが持つ愚かさを風刺していると同時に、何事につけ事なかれ主義の国連軍の態度と無能振りを風刺し、もう一つハイエナのごとく戦場に群がるマスコミのお馬鹿ぶりを端的に表現している。
テレビの前にいるボクたちは、その画像を通して、何でも知っている気にさせられているが、その画像は意図的に選択されたものにしか過ぎないことを教えてくれる。事実を前に画像は全てをありのままを伝えていえるのではなく、ある部分を切り取られ、選ばれている。下手したら画像は作られていたり、脚色されているかもしれない。
真実を知るのは難しいこといだ。

実はそれだけではなく、この映画の設定そのものがボスニア紛争を表現している。身動きできない泥沼にはまりこんでしまった両軍と、傍観を決め込む国連軍、そしてセンセーショナルな素材を求めるマスコミ(テレビカメラ)。

ボスニア軍陣地とセルビア軍陣地が向かい合う最前線。その中間地点にある塹壕に両軍の兵士が取り残されてしまう。両軍の兵器が向かい合う中、二人は下手な身動きが取れないままお互いを激しく罵り合う。互いに味方の兵士がいるわけだからこの塹壕に向けて砲撃は出来ず、両軍は国連の平和維持軍に出動を要請するのだが...。
塹壕では死んだと思っていたボスニア軍の兵士が息を吹き返す、だが、寝転がっていた彼の背中の下にはジャンプ式の地雷が埋められている。彼が身を起こせば地雷が爆発してしまう。この男は生き返ったものの、死んでいるよりも性質が悪い状態だ。
連絡を受けた国連軍は静観を決め込むが、現場に近い場所で待機中のフランス軍軍曹が独断で現場へ乗り込んで行く。無線を傍受したマスコミがこの事件を知り、現場へ殺到したために、国連軍の指揮官も重い腰を上げざるを得なくなるのだが...。

なんとも後味が悪い結末。
観なければ良かった、とは思わないけれど、人の命の軽さとご都合主義にはげんなりしてしまいます。「正義」とは一体何なのでしょう?
「エネミー・ライン」とは全く違った角度でこの紛争に対するアメリカの介入の方法根を知ることができます。

もうしばらくガーデンシネマで上映中。

おしまい。