「春の日は過ぎゆく」

一度とは言わず、二度三度と観てみたくなる


  

観ているときよりも観終わってから。
そして、観終わってすぐよりも少し時間を置いてから。
少しずつしみいるような、そんな余韻が後をひく作品だ。
「八月のクリスマス」が速球勝負(この映画も、決して直球ではないのですが)だとすれば、この「春の日は過ぎゆく」は技巧派の変化球だと言える(悪く言えば、少々わかりにくい映画だ)。

帰り道に、この映画のことを思い返してはあれこれ考える。
「イヨンエは何故、ユジテと別れてしまったのか...」
「消火器にはどんな意味があったのだろう」なんて。
そして、思い当たるのは、男女の恋愛に対する波長の長さの違い。

男と女と言い切って都合が悪ければ、イヨンエとユジテ。もしくはバツイチの30過ぎの女性ウンスと20代半ばの実直な若者サンウと言い換えてもいい。
最初は「ラーミョンでも食べていく?」とウンスが誘う。
しばらくしてからは「私たちも、あんな風に一緒にお墓に入ろうか」なんてセリフが飛び出す。
ウンスの波は頂点に向かって一気に上り詰めていく。その波に遅れて、サンウも盛り上がっていく。
でも、一度頂点に達したウンスの波が落ちていくのは速い。ひとたび歯車が狂った二人の波長はもう二度と噛み合いはしない。
放送局の前で待ち伏せしたり、深夜彼女のアパートの前までクルマを走らせる、一途なサンウの姿はいじらしい。
苦い別れの後、サンウの職場に押しかけるウンスのタイミングの悪さ。祖母の死も知らず、祖母のために植木鉢を渡すウンス。
もう、全くリズムが合ってないよ。二人とも。
さぞかし苦しかったでしょう。

こんなふうに映画を観ている時には考えなかったようなことをいろんなシーンを思い出しながら考えてしまう。
こうして、映画を観た人に判断を委ねる部分が大きいのが、ホジノ監督の特徴なのかもしれない。

確か「八月の...」でも、タムリ(シムウナ)から誘っておきながらその約束をすっぽかしてしまうエピソードがありました。その時はジョンウォン(ハンソッキュウ)が大人の包容力で一笑に付していた(単に、撮りなおしおばあさんが来たので、気が紛れただけ?)。
今回はサンウが若くて実直な青年だけに完全にウンスに振り回されています。

彼の祖母は晩年に自分を裏切り浮気した夫をに絶対に認めない。頭から締め出してしまっている。まだ自分だけを愛していた若い頃の写真だけを夫として認めている。そして、帰るはずのない夫を駅に迎えに行き続ける。
サンウもまた自分を捨ててしまったウンスが許せない。
彼女のクルマを傷つけるシーンは印象的(「八月の...」でタムリが石を投げつけて写真館のガラスを割るみたい...)。

そして、何時の間にか二人の春の日は過ぎ去ってしまう。

映像がとても美しい。
イヨンエも美しく、ユジテも美しい。そしてストーリーも美しい。
ホジノ監督の次作は、女性の視線から見た作品を撮ってもらいたいですね。
この映画、シムウナの引退が無ければ、きっとシムウナで撮っていたんやろな。イヨンエに不満がある訳ではないけれど、シムウナのウンスを観てみたかった(残念!)。

一度とは言わず、二度三度と観てみたくなる作品だと思います。

大阪では間もなく、7/6(土)から、シネリーブル梅田で公開です。おすすめです。「JSA」とは一味もふた味も違うイヨンエに会いに是非劇場へ足をお運び下さい。
ボクは公開一週間後の渋谷のBunkamura ル・シネマで観ました。土曜の朝一番の上映でしたが満席の盛況でした、凄いなぁ。

おしまい。