「きれいなおかあさん」

不器用なまでの愛情の深さ


  

有楽町と日比谷はどう違うんだろう? 続いて観たのは、日比谷のシャンテ・シネマ。
大陸の作品でコン・リー主演の「きれいなおかあさん」。感動もするけど、それよりも考えさせられる作品だ。

「どうしてボクだけ補聴器をつけなければいけないの」という問いには
「それはね、私の息子だからよ」と答えてほしかった。

リーイン(コン・リー)には小学校に行く年齢の息子(ジョンダー)がいる。
でも、彼は学校へ行かず、リーインが字の読み方を教えている。それはこの子が生まれつき耳が不自由だからだ。全く聞こえないのではなく、補聴器を付ければ聞こえる。でも、この子は発音が少し不自由なのだ。
冒頭の小学校受験(?)のシーンは、少し痛々しくもある。でも、言葉が不自由である以外は何の障害も持っていない。リーインはジョンダーを聾学校へ通わせたものの、辞めさせた。聾学校では障害の程度にばらつきがあり、聾学校へ通わせるよりも普通の学校で教育を受けさせたいと彼女が望んでいるからだ。この息子が理由になり、タクシー運転手の旦那とは離婚してしまった。
リーインにとってはこの息子こそが全てなのだ。

入学試験の結果が知らされる。
残念ながら不合格。校長からは、もう一年待ってでも遅くないだろうと伝えられる。
お母さんは息子と一緒にいられる時間を増やして、勉強を見てやるために、今の仕事を辞める。少しでも長く子供と過ごすことが出来る仕事を探し始める。
そんなある日、ジョンダーは公園で悪ガキどもから補聴器をからかわれてケンカをしてしまう。その結果、補聴器は粉々に壊れてしまう。リーインは5,000元(約80,000円、でも北京の庶民レベルの感覚では50〜100万円って感じでしょうか)の補聴器を買うために幾つもの仕事を掛け持ちする。生活が苦しいのはもちろん、子供の勉強が遅れるのが心配だ。そんな心配をよそに、ジョンダーの方は腕白盛りだ。

アジアを旅していて思うのは、その国が持つホスピタリティだ。慣れてしまえば、どこの国でもそれなりに暖かく迎えてくれる。でも、いつも感じるのは歩道のや建物内での段差の多さなど、車椅子の人への配慮の無さだ(もっとも、日本でもまだまだ偉そうには言えないけど)。イラン映画で全盲の少年が主人公の作品を観たときも思ったけど、障害者にとってはまだまだ厳しいものがあるのが事実だ。

様々な出合いがあり、失敗しても励まされ、悪い人からひどい目に会わされても暖かい人情に救われる。
そして、母親の愛情を一心に受けたジョンダーは、特別に許された冬休み前の入学試験を受けに行く。

全体にほんわかムードが漂い、ややぬるい部分もあるけれど、コン・リーの不器用なまでの愛情の深さには胸を打たれます。
同窓会へ行き、会場へ顔を出せないままバスに乗って引き返す彼女の切なさ、無念さを思うと胸が熱くなります。
ジョンダー役の子供は広州にある聾学校へ通っているそうです。そこいらにいる子役を遙かに上回る好演。彼の澄んだ瞳が印象的です。

大阪では6/22からOS劇場で上映されています。絶対のおすすめではないけれど、時間が許せば是非ご覧ください。
この秋に公開予定のチャン・イーモウ監督の最新作は視覚障害者のお嬢さんが主演らしいですよ。舞台も同じ北京。

いやぁ、ホントにコン・リーって幅の広い役者さんですね。見直しました。

おしまい。