「トンネル」

ほろ苦く切ない


  

今から思うと、どうして「ベルリンの壁」はあったのだろう?
普通の市民が東ベルリンから西ベルリンへ亡命を希望している。その理由は西側へのあこがれかもしれないし、東側への不満なのかもしれない。それともある日突然引かれたラインによって分断されたことへの抗議なのか。
国民の多くが不満を持つような体制には問題があるのだから、それを正していこうという自浄作用が働いても良かったのではないでしょうか(それが、出来ていたら苦労せんか)? もし、東ドイツがいい国なら、みんな西ベルリンへ行こうとは思わないもんね。
と言うことは、近いうちに「鴨緑江」とか「大使館(or 領事館)」なんて映画が出来るのでしょうかね? 鴨緑江とは中国と北朝鮮の国境を流れる川の名前です。

ほろ苦く切ない、そんな映画なのです。

1961年。ベルリンには壁が築かれたばかりだ。西側からの手引きもあり、水泳の世界記録保持者ハリーは東から西ベルリンへの亡命を果たす。一方、ハリーの友人・マチスは下水道を通って西へ逃れようとするが、途中で官憲に見つかり、本人は亡命を果たすが最愛の妻は途中ではぐれて失敗してしまう。
ハリーの願いは東側に残してきた妹をこちら側に連れてくることだし、マチスはもちろん妻と共に西ベルリンで生活することを願っている。なんとかこちら側へ連れてくる方法を探っている二人は、アメリカ人二人の亡命援助組織から助けを借り、西側から東側へのトンネルを掘ることになる。
西ベルリンの「壁」のすぐ横にある廃工場の地下から「壁」を超えて145mのトンネルを掘る計画だ。一刻も早く東に到達したいが、なかなか計画は進まない。
そんな時、この地下室に一人の若い女性・フリッツィが現れた。彼らがカフェでこの計画を相談している時に、話しを耳にして、どうしてもこの計画に自分も参加したいと言うのだ。フリッツィも東に恋人のハイナーを残してきているのだ。

実話ベースの話しだと言う。

今はもう「壁」はない。
ここ10年で、以前は考えられなかったけれど、共産主義の体制は崩壊し続け、「壁」も消滅し、東西ドイツは統一を果たした。
1960年代や70年代に誰がこの「壁」の消滅を予想できただろう。
今、同じ民族で体制の違いから反目しあっているのはお隣の朝鮮半島だけになってしまった。

すんなりとこの映画に共感できたわけではない。西側があまりにも正義として描かれすぎているような気がしたから。もっとも、米国のテレビ局の取材が入るときに資本主義陣営の拝金主義を皮肉ることも忘れてはいなかったけどね。
でも、西側へ逃れたい人たちの団結は凄いです。トンネルを掘る方も、トンネルの開通を待つ方も。
ここは斜に構えず、素直な気持ちでスクリーンに向かい合ってほしいですね。そして、ほろ苦い感動を味わって下さい。泣いている人もたくさんいらっしゃいました。ボクも何度かこみ上げてくるものがありました。
OS劇場C・A・Pでもうしばらく上映中です。昨日の「アイ・アム・サム」とは一転して、年輩のお客さんが多かった。若い人にも観てもらいたいですね。2時間半を超える上映時間ですが、時間はまったく気になりません。
おすすめです。お時間が許せば是非どうぞ。
ハリーの妹・ロッテがなかなかいいですよ。

おしまい。