「アトランティスのこころ」

観覧車でのキスの味は...


  

この人が出てくると、どうもレクター博士だと思ってしまう。
いつ相手の少年の脳味噌を食べてしまうのかと身構えて映画を見てしまうのだ。
俳優さんは強烈なキャラクターの持ち主を演じるとその色が付いてしまって大変ですね。もちろんこの映画では猟奇的なレクター博士を演じている訳ではない。ただ、やはりそんな雰囲気はある謎めいた役柄だ。もはや、アンソニー・ホプキンスが好々爺を演じることは無いでしょうしね。

少年時代の甘いエピソードをつむいだ作品だ。ストーリーが甘いだけではなく、残念ながら映画そのものも「甘い」仕上がりになっている。

この映画で輝いているのは、アンソニー・ホプキンスではなく、二人の女性だ。一人は主人公・ボビー少年の母親。もう一人はボビーのガールフレンド。
母親は、これがもう絵に描いたようなブロンドの美人でちょっと色っぽい。若い頃は(今も若いけど)さぞかしべっぴんさんやったのでしょう。知性はあまり感じられないけれど、下品なわけではない。子供がいながらも、その子供を顧みることはなく、すっかり「独身」を謳歌している。数年前に旦那さんを亡くし、貧乏な生活をしているのかと思っていたら、なかなかのやり手で、稼ぎのほとんどは家に入れず、もっぱら自分のためにつぎ込んでしまう。「悪母」の見本のような人ですね。でも悪びれたところは全く無い。憎めないし、嫌味を見せない得な役柄ですね。
一方、まだ少女のガールフレンドは、まるで絵から抜け出てきたような「天使」だ。この映画のエピローグで語られるエピソードとともにかわいくて仕方ありませんね。彼女のように女性のためなら、年上の悪ガキ相手にも喧嘩を挑みたくもなる(かな?)。

面白いストーリーで、いいキャラクター設定なのに、映画としてパッとしないのはどうしてだろう?
それはレクター博士(おっとテッドだったけ)が持つ特異な能力の説明が拙いことに尽きるからではないかな。言葉にせず、微妙なニュアンスでテッドの能力を語り、観客に理解を促す試みには、少々ムリがあり、ある意味では不親切でさえある。
あの夏の日に、確かにボビー少年はテッドと同じ能力を共にすることができた。それがこの映画の主題ではないのはわかるけど、もう少し仕掛けがあっても良かったのではないでしょいうか。

誰もが持っている少年時代へのノスタルジー。
それは巧く表現できているのでしょうけれど、それが映画として成功していたのかどうか...。

残念ながら、先週一杯で上映は終了してしまいました。
レクター博士のファンなら楽しめるかもしれません。

おしまい。