「活きる」

決して載らない現代中国史


  

1940年代から70年代までのおよそ30年間を俯瞰したような作品だ。この作品が中国大陸で上映されたのかどうかちょっと気になる。
出てくる人々は誰もが市井の人々で、特権階級の人でも何でもない。この映画で描かれている事柄の二つや三つは、今中国に住んでいる50歳以上の人たちはみんな経験してきたんだろうな。
映画のタイトル「活きる」というのが、なんともいい。
中国の人たちはそれこそ「生きる」ために、頑張ってきたんだな、そんなことをふと思ってしまう映画なのです。

主人公の福貴(フークイ)は街に住む裕福な一家の一人息子だが、博打が好きで、女房・家珍(チァチェン)の懇願も聞き入れず賭博場に入り浸りの日々だ。とうとう身重の家珍は愛想を尽かして娘と家を出てしまう。そして、家珍が出ていったその晩、福貴は負けが込んでとうとう全財産を失ってしまう。
ここから彼の人生は大きく動き始めるのだが、大きく動くのは彼の人生だけではなく、中国全体が大きく動くのだ。日帝の中国侵略、国共の内戦、...。
博打を辞めた福貴の元に家珍は子供と共に帰ってくるが、この大きな渦に彼自身も巻き込まれてしまう。無一文になった福貴は、影絵師として街から街へ、そして村から村へと渡り歩くうちに戦争に巻き込まれてしまう。最初は国民党の、そして八路軍の雑役夫として従軍する。この戦争のなかで彼は命からがら生き残る。
戦火がおさまり、街に帰ってきた福貴は、娘と息子のために必死に働く家珍と再会する。しかし、娘は病気のために口が利けなくなっていた。
新生・中華自民共和国が建国される。そこで、福貴が目にしたのは、彼の邸宅や財産を手にした男の哀れな末路だ。この男は反革命的だと批判され、公開裁判にかけられ銃殺されるのだ。貧乏ながらこうして生き残っているわが身とこの男を見比べて、人生の皮肉さを知るのだ。
時は移り、50年代。この時代は毛主席が提唱する「大躍進」。主席のために人々はこぞって鉄を供出する。今から考えるとナンセンスなお話しだが、当時の人民は自分たちの鍋や釜で砲弾を作り、その弾で台湾が解放されると、真剣に考えていたのだ。
この影で、福貴には悲劇が待ち構えていた。
そして60年代。毛主席の新たな呼びかけで始まったのが「文化大革命」。文革が引き起こした悲劇は枚挙のいとまがないが、この文革の悲劇がまたしても福貴の一家を襲う。

いったい「生きる」とは、どんな意味があるのだろう。
そんなことを激動の時代を生き抜いてきた福貴に代わって、観ているボクたちが考えてしまう。
銃弾や砲弾に当たらないように戦場を駆け巡り、世の中の動きに絶えず目を配り、世の中の風潮や世間から後ろ指を指されることがないように行動する。そして生き残ってきたことに一体どんな意味があったのか。
それならいっそのこと、博打で全財産を失ったときに自殺した方がましだったのではないだろうか。
中国という国に「生きる」とはこんなにも苦難の道を辛酸をなめながら歩むことなのだろうか。

1994年に撮られた映画が、こうして今公開されるのは「初恋のきた道」「あの子を探して」が興行的にそこそこ成功したからなのでしょうか。
監督はチャン・イーモウ。主演の夫婦にはグォ・ヨウ、コン・リー。そして「心の湯」に出ていたジアン・ウーも出ています(他にも大陸の映画で顔を見かける俳優さんがちょこちょこ出演)。
何も難しく考えなくても、しっかり観ることができる作品です。残念ながら、観ていて「楽しい」お話しではないけどね。
新梅田シティのガーデンシネマでもう暫く上映しているはずです。教科書には決して載らない現代中国史を垣間見ることが出来る佳作です。おすすめ。
しかし、コン・リーって言うのは芸達者だね。
映画の中の合間合間に登場する「影絵」の美しさがなんとも言えません。

次回は十三で開かれる「大阪韓国映画祭・2002」からご紹介する予定です。お楽しみに!

おしまい。