「カンダハール」

アフガニスタンのほんと


  

今や中東の話題を独占しているのはイスラエル問題だが、ほんの数ヶ月前までは中東といえばアフガニスタンのタリバンとオマル、ビンラディン両師が話題の的だった。
世の中の移り変わりは激しいねぇ。と、感慨深げに観てきたのがアフガニスタンを舞台にしたイランとフランスの合作映画「カンダハール」。
ボクが知っているアフガニスタンのイメージとこの映画で繰り広げられるアフガニスタンのイメージのギャップがこの映画の最大の目的だと思う。そして、その目的は達せられた。
そう言えば最初からボクが知っているアフガニスタンってほとんど知らないのも同然で、知っていることと言えば、首都がカブールという都市で、乾燥した砂漠と高い山が広がっているイスラム教の国であるということぐらいだもんな。いかにこの国について、この国で暮らしている人々について何も知らなかったのかを痛感した(もちろん、この映画1本を観たところでこの国について多くを語る資格はないんだけど...)。

かつてはアフガニスタンに住み、カナダへ移住した女性の元に今なおカンダハールに住む妹から手紙が届く。
そこには、今の暮らしに絶望して、20世紀最後の日蝕の日に命を絶つ、という知らせがしたためられていた。この妹の命を救い、アフガニスタンから脱出させるべく姉はカンダハールへ向かう。しかし、彼女には簡単に査証が発給されずむなしく日は流れていく。ようやくイランとアフガニスタンの国境付近にある国連の難民キャンプにたどり着いた彼女はカンダハールに戻るという家族に同行して国境を越えることに...。

この映画の主題は「姉が無事に妹に再会して、一緒に国外へ逃げられるのか」という箇所には力点が置かれているのではない。むしろそれは彼女がカンダハールへ行くという動機付けに過ぎず、彼女の目を通してアフガニスタンが置かれている現状をリポートしよう(多くの人に知ってもらおう)という箇所に力点が置かれている。

彼女が知り合う人々を通じて、アフガニスタンの子供たち、神学校、女の子供たち、そして男たち...。多くの立場が違う人たちと話しながらアフガニスタンの人々の姿が訴えかけてくる。
強烈だったのはヘリコプターからパラシュートをつけて投下される義足に数十人の松葉杖をついた男たちが駆け寄って行くシーンだ。
近代の戦争・紛争地域において地雷が如何にやっかいな代物なのかを目の当たりにして、ショックを受けるとともに、平和を享受して無神経になっている自分を省みてしまった。
砂漠の中で生きていく、いや生き残っていく知恵を持った少年たち、かわいい人形だと思ったらそこには小型の地雷が隠されている恐怖。全身をすっぽり覆い隠すブルカを着た女たち。

決して後味がいい映画ではありませんが、観終わって砂をかむような後味が尾を引くこともありません。ちょっと自分は何も知らないんだなぁ、って思わせるさりげなく含蓄のある映画なのでしょう。
この作品も広島は鷹野橋にあるサロンシネマで鑑賞。「マルホ...」の数倍、40名ほどの入りでした。

おしまい。