「ふたつの時、ふたりの時間。」

なんともやるせない、都会の孤独


  

空気が入れ替わったのか、明けた土曜の朝はムッとした陽気ではなく、どこかか弱げなちょっと冷たい空気が漂っていた。これでこそ、春の朝だ。朝食を兼ねて近くの千鳥が淵まで散歩。サクラの古木が幾つものツボミを膨らませている。ちらりほらりとほころんでいるものもあり、一気に春が押し寄せているようだ。

向かったのは渋谷にあるユーロスペース。時間に余裕を持っていたつもりだったが、ロビーに入りきれない人が階段に列をなして並んでいる。ざっと100名はいるかな。この映画こんなに人気だったのか!とビビる。でも、この列は併映されている「害虫」という邦画の初日・舞台挨拶の整理券を求めて並んでいる人たちとわかり、ほっとするやら、ちょっとがっかりするやら...。時間になり、場内に入るとこの映画を観るのは20名弱。公開して1カ月は経っているからそんなものかな。

一言で言うと難しい映画だった。
なんともやるせない、都会の孤独がテーマだったように思う。

台北の街角、繁華街にある歩道橋の上(たぶん、台北駅の駅前)で店を広げて腕時計を売る青年・シャオカンが主人公。彼の前に現れる女がシャンチー。彼女は彼の売り物に気に入った時計が無く、シャオカンがはめている時計が気に入り「売ってくれ」とせがむ。一度は断ったシャオカンだが、二日後にパリへ旅立つというシャンチーのために自分の時計を譲る。

シャオカンはこのシャンチーが気に入ったわけでも、恋をしたわけでもないのだが、妙にパリへ行くというこの女のことが、喉にささった魚の小骨のように気になって仕方がない。
そして、シャオカンは奇妙な行動に出る。
パリとの時差を調べ、自分の商品を全てパリの現地時間に合わせる。自分の商品だけでは飽きたらず、家にある時計、時計屋の時計、目に付いた時計を7時間遅らせる(5時間進ませる)。時計を仕入れに行った問屋に並べてある時計も片っ端からパリ時間に合わせてしまう。
しまいに、ビルに掛かっている大時計までも、アンテナをもぎ取ってそれを使って動かしてしまう(ここまで来たら犯罪だよ!)。
そんなシャオカンを動かす要因は一体何なのか? ボクには分からない。
この一連の作業の中で、彼はもっと奇妙な男に出会う(今風に言うとストーカーというか、単なるヘンタイなのか?)。

一方、パリに着いたシャンチーは孤独に苛まれる。パリの安ホテルでは上の階の音が夜遅くまで響き、眠れない。
街へ出てもフランス語が出来ない彼女はただ戸惑うばかりだ、レストランでも注文も出来ないどころか、ウエイトレスからも相手にされない。
パリという大都会の中で、シャンチーは孤独だ。ホテルへ帰る途中、地下鉄の駅で呆然と立ちつくす彼女が、ふと視線を上げると向かいのホームには同じ孤独を抱えた中国人の男性が立っている。しかし、お互いの視線を避ける二人。やがて、ホームには列車が滑り込んできて男は去っていく。

シャオカンとシャンチーはもう二度と会うことがない、記憶にも残らない出合いをし、言葉を交わし、そして別れる。日常のほんのヒトコマのできごと。
それだけに、余計、余韻が後を引く。

パリの街角の椅子に腰をかけ眠り込んでしまうシャンチー。
そして、彼女のスーツケースはイタズラをされて池に浮いている。そんなことも気が付かず深い眠りの中にあるシャンチーはいったいどんな夢を見ていたのだろう?

ちょっと、難しいなぁ。もう一度観ても理解できるかどうか?
もう一回観たいと言うよりも、この監督の前作、前々作を観てみたような気がします。

次回は同じ日に観た韓国の映画「プライベートレッスン/青い体験」という作品をご紹介します。

おしまい。