「キプールの記憶」

街での日常と戦地での異常


  

街をウロウロしていると3月の10日過ぎから、袴や晴れ着を着込んだ女性や着慣れないスーツを着た若者たちの集団とすれ違うことが多くなった。卒業式のシーズンなんですね。
そうだよな、もう、すっかり暖かくなってきたしなぁ。春は別れと出会いの季節ですね。最近はすっかり「出会い」は減ってきたけどね。
職場でも職場から「卒業」する人がいて、ボクなんかほんと取り残されたような気がして淋しいもんです。ぐっすん。

さて、
そんな、暖かい晩に久しぶりに九条にあるシネ・ヌーヴォへ。以前はよく足を運んでいたのに最近はとんとご無沙汰していました。一体、何時以来なのか調べてみたら、昨年のレオン・ライ、マギー・チャンが主演した「ひとめ惚れ」以来。13カ月振りでした。

イスラエルの映画。イスラエルって決して近くの国ではないけれど、最近の情勢からほぼ毎日その国名は耳にしたり目に入ってくる。(一度行ってみたいとは思うけど、なかなか難しそうだ。北京空港や香港の空港でイスラエル航空の飛行機を目にするとハッとするけどね。)
その割にボクはイスラエルについて実際には何も知らない。何語をしゃべっているのだろう? 英語かな? なんてね。
やっぱり、一度行ってみるべきだろう。

で、この映画は戦争映画だ。ちょっと変わっている。主人公達が大活躍して敵を蹴散らして大勝利を収めるというお話しではない。
突然起こった戦争に召集された将校と軍曹の友達二人が本来の部隊ではなくヘリコプターで負傷した兵士を戦場から後方へ輸送する任務に就くことになる。そして、この任務を通じて彼等が見た「戦争」の現場を淡々と映し出すのがこの映画だ。

負傷兵を運び出すヘリコプターが着地するのは戦闘が一段落した場所がほとんどだ。だからこの映画には戦闘シーンはもちろん、敵の姿さえ出てこない。
吹き飛ばされた建物の一部が野戦病院になっている。ヘリコプターには収容人員に制限があるから、運び出せる人員は限られてくる。この貴重なスペースを誰に割り当てるのかシビアな選別が軍医によって行われる。
死んでしまった者や、運んでも助かる見込みが少ない者は選ばれない。
もちろん、戦場にヘリが長時間留まっていることも出来ず、時間との闘いもここに加わる。

ワインローブとルソはやがてこの新しい任務に慣れていく。
最初は戦闘後の荒涼とした戦場で、戦死したり瀕死の負傷を負った友軍の兵士の姿に激しい怒りや自分の仕事に対する高い使命感で気分はとてつもなく高揚していた。
しかし、連日の任務にだんだん救出作業も惰性化していく。
戦車が作った深いワダチが泥沼になり、担架に乗せた負傷兵を腰近くまで泥沼に埋まり運んでいく姿は、どこか滑稽でさえある。
基地に戻り、戻ってこないヘリの数を数える指揮官の姿や、時折襲ってくる死への恐怖を口にする兵士の姿を見せられて、これは戦争映画なのだと思い出さされる。
それ以外はあまり感情を挟まず、長々と淡々と彼等の救出活動を映し出している。

そしてある日。任務へ向かうワインローブを載せたヘリが突然被弾する。副操縦士は即死、機関士は重傷。軍医もルソも傷を負う。
ヘリは不時着するが、ワインローブには何もする事が出来ない。いや、なすべき事がないのだ。
やがて、友軍のヘリが救出にやってくる。

こんな形で突然ワインローブの従軍は終わる。
部隊まで乗ってきた自分の乗用車へ乗り込み、基地を後にする。そして、何事も無かったように、街にある恋人が待つ家へ「買い物から戻ってきた」みたいな顔をして帰っていったのだ。

この街での日常と戦地での異常、この落差になんかハッとさせられました。

おしまい。