「しあわせの場所」

中国の庶民生活は...


  

二本立ての興業をする映画館は減った。だから映画館をハシゴして自分で何本立てかを作るしかない。この日は三本立て。時間がないので移動が大変だ。東中野から中野までは一駅。両館とも改札から近いので助かる。でも正直言ってちょっと疲れた。
中野はボクが想像とはちょっと違った。もっとお洒落なところだと思っていたのだが、案外庶民的な駅前でなんだかホッとしてしまった。
中野武蔵ホールははじめて。半地下式の劇場だ。いかにもミニシアターだ。駅から少し迷ってしまったのでぎりぎりセーフ。場内は三割ほどの入りだ。
中国大陸の映画、98年の作品だ。「しあわせの場所」という映画。コメディというよりも人情喜劇ですね。

中国の都市・天津。この街の片隅で繰り広げられるある一家の出来事を面白おかしくまとめてある。
中国はどこでも近代化の波が一気に押し寄せている。昔ながらのレンガ造りの長屋も残っていれば、高層アパートが林立する一角もある。
主人公の大民(ターミン)一家が住むのは昔ながらの住居が密集する地区だ。彼はもういい年なのにまだ独身、母親と妹二人、弟二人の計6人で二間の家で生活しているのだ。おしゃべりが好きで、お人好しなターミンは今日も朝から家族の食事を作り、工場へ出掛けるまでの一時を近所でのおしゃべりで楽しんでいる。

この映画にはメッセージ色や政治色は薄い。薄いというかほとんどない。そこにあるのは中国の庶民たちの底なしの明るさと、家族愛。過去への郷愁、そしてすごい勢いで突き進む近代化に対しての漠とした不安感が巧みに織り込まれています。
最後に、再開発で今まで慣れ親しんだ家を離れ、建てられたばかりの新居に移る。その時に「期待」や「喜び」よりも漠然とした「不安」を感じていることをさりげなく表現しているあたりに好感を持ちました。今の中国の都会に住む人たちの多くはこんな経験をしているのでしょうね。それほど凄いスピードで中国は変わっているのです。

ストーリーそのもに目新しいものは無く、どれも日本でも起こりうるエピソードばかりだ。嫁と小姑の確執や部屋の取り合い、夫婦喧嘩などなど...。でもそれらをあきさせず、しかも明るく描ききっているのは主人公のターミン演じる役者さんのキャラクターと演出の巧みさでしょうね。

ほんとに肩の凝らないホームコメディに仕上がっています。朱旭の「こころの湯」のようなほろっとさせられるところはないものの、つぼを押さえた映画です。中国もこんな明るいお人柄の人たちによって支えられているのですね。

関西でも上映されるのかどうかは知りませんが、チャンスとおひまがあればご覧下さい。蛇足ながら、ターミンが行商で訪れるアパートの門番役で「こころの湯」でコオロギ合戦で負ける年寄り役の人がちらっと顔を出してくれます。

次回は凄い顔ぶれなのにほとんど話題にすら上らない作品「フォルテ」をご紹介します。

おしまい。