「今日から始まる」

幼稚園の園長先生が頑張る


  

今回ご紹介するのは、フランスの映画「今日から始まる」。
会場はLoftの地下にあるテアトル梅田。ここでは「アメリ」の上映がまだ続いており、土曜日のせいか立ち見も出ている様子で、大盛況でした。この日が初日の「今日から始まる」は半分ぐらいの入り。普段はあんまり映画館に来ないよって感じの人が多かった。
どうしてそんなことがわかるのかと言うと、それはその人たちが映画が始まる前におしゃべりしている内容と、映画が始まってからの姿勢でわかるのです。映画が始まっても椅子に腰深くかけて、座高が高いままで見ている人って多いいんですよ。こういう座り方をされると、その席の後ろに人は見にくくてしゃあない。もうちょっと、後ろに人に気を使って映画を観ましょうね。

一部で「フランスの金八先生」って紹介されているようだけど、ボクはこの映画は金八先生とはまったく違う映画だと思う。 確かに熱血先生かもしれないけど、どこかさらっとしていて、このダニエルの方によっぽど共感を覚えました。
彼は炭鉱が閉山されてさびれる一方の地方都市で幼稚園の園長を務めている。園長といっても年齢は40そこそこ(もう少し若いかな?)。事務室で園の管理しているのではなく、自分でも授業を受け持ち、なんでもしてしまう先生だ。

この映画は、幼稚園の園長先生奮闘記なんだけど、ダニエルは子供相手に奮闘しているのではなく、子供の親や地域社会、そして町の役所など大人に対して奮闘している。
迎えにきた母親がそのまま逐電してしまう、仕方なしに子供を自宅に送り届けただにエルが見た家庭は...。電気が止められて明かりがつかない部屋。子供は無邪気に懐中電灯を差し出す。ごみが散乱して足の踏み場もないぐらいだ。部屋は寒々として、暖房はない。母親は酒をあおってフテ寝をしている。ダニエルは声も出ない。
この男の子は体中に痣を作っている。今日は頭に怪我をしている。どうしたのかと問いつめると、ようやくぼそぼそと話し出した「おじさんがしたのだ」という。母親の愛人の男性から折檻が絶えないようだ。
ある家庭では、園で開く行事の参加費を捻出出来ない。家計が火の車で、これから一週間を乾パンにミルクを浸す食事だけで飢えをしのぐのだと言う。
ベテランの女性教師は現状を語る。「ここ数十年で一クラスの生徒数は減ったが、クラス運営のかかる手間は遥かに増えたのだとベテランの教師が言う。子供を顧みない親が増えた。その結果、コミュニケーションが取れない子供が増え、確実の子供は不潔になっているという。それは親が子供の面倒を見ずに幼稚園に預けっぱなし、その代わりテレビにかじりついている」と。

ダニエルはこんな話しを黙ってみているだけではない。自分できることはしてみる。役所に掛け合う。掛け合ってだめだったら、市長に直談判すら試みる。他の下らないことに金を使うのなら、低所得者用の福祉にもっと予算を回すべきだ、と。当然、疲れ果てる。

でも、決して、ダニエルはヒーローではないのだ。いくら奮闘してもどうしようもないこともたくさんある。そして、私生活では同棲している女性の連れ子と上手くいかない。また、この女性と自分の両親の仲もギクシャクしたままだ。また、自分の授業方法を教育委員会(?)の連中はちっとも評価してくれず、自分の勤務評定は低いままだ。そんなことに思い悩む先生の姿も余さず捕らえられている。

園長先生が時折走らせるフランス郊外ののどかな田園風景。それが、先生の周りで起こる出来事や自分の中にあるもやもやを紛らわしているように見えます。
観ていてスカっとする映画ではありません。何かずーんっと考えさせられる作品ですね。遠くフランスの国で起こっている出来事なのではなく、振り返って見れば日本でも起こっている問題なのだと思いました。
ちょっと寂しいけどね。

次回はイギリスを舞台にした作品「シャンプー台のむこうに」をご紹介します。

おしまい。