「ゴースト・ワールド」

過ぎ去りしものは、ほろ苦い?


  

とうとう8月が過ぎ去ってしまい、今日から9月だ。過ぎ去りしものにはどんなに憎くても哀愁を感じてしまうものですね。あの35度を超える酷暑も、もう来年まで来ないのかと思うと、ちょっと淋しさを覚えます(ウソウソ)。ようやく涼しさを覚えるようになり、明け方には肌寒さで目が覚めるようになると嬉し涙さえ浮かべてしまいます(これもウソやなぁ)。

さて、今回観てきたのは「ゴースト・ワールド」。
会場は新梅田シティのガーデンシネマ。平日の昼間にも関わらず、30名は入っていました。立派だねぇ。ガーデンシネマは今まではチケットカウンターで「もぎり」をしていましたが、今回は劇場の入口で「もぎり」をしていました。

高校を卒業したばかりの女の子・イーニドが主人公。先日観た「セイブ・ザ・ラストダンス」のサラとは全くタイプが違う。高校にも、周囲にも全く価値を見いだせず、自分と自分の友人・レベッカ以外は全てが「ダサイ」「いけてない」と思ってしまう。ある時は「自分はこんなにすばらしいのに、それが分からないみんなはおかしい」と思って、周囲を見下せば済むことなんだけど、違うときは「何もかも自分が思うとおり行くわけないやん、おかしいのちゃうか」とか「社会不適合者」というレッテルを貼られ、周囲から見放されてしまっている(と言うか、無視されちゃうわけね)。この作品の日本語のキャッチが「駄目に生きる」となってるのも頷けます。
でも、これは彼女だけが特別なのではなく、若い時にはありがちなことで、大人になるっていうのは、ある意味では周囲にどう価値を認めるか、認めさすか、あるいは周囲にどう迎合するのか、そのへんの折り合いを付けることなのかもしれない。それとも、周囲には突っ張ったままジュリアード音楽院に入る(自分を認めさせる)のも、もちろんひとつの手ですけどね。

そんなイーニドが恋に落ちる。彼女自身は自分が恋してる(しかもこんなオタクのもっさいおっちゃんに)なんて認めないんだろうけど。この恋のおかげで親友のレベッカとの仲はぎくしゃくし、彼女からは疎遠になってしまう。

このへんのストーリーはなかなかおもしろいので、是非実際にご覧になってお確かめ下さい。
誰にでも、自分も高校生くらいのころはこんなんやったかな、ってきっと思い当たる節がひとつや二つはあるのではないでしょうか。過ぎ去りし日々のことを、ちょっと懐かしく、でもちょっと想い出したくもないと思いながら映画館の椅子に座っているのもいいものではないでしょうか。

シーモア(イーニドの恋人(?)役)とイーニドの父親がなかなかいい味出しています。
エンドロールが終わってから、ちょっとだけオマケの映像が流れますから、早々に席を立たないようにね。もうしばらくガーデンシネマで公開しています。

おしまい。