「千と千尋の神隠し」

期待が大きかっただけに...。


  

気が狂ったような暑さが続いていますが、みなさんお元気ですか?
この暑さで熱中病になったり、寝不足になったりしていませんか?
しかし、この炎暑、いったいいつまで続くのでしょう。この陽射しのなか、大阪の街を歩くのなら、香港の中環あたりの雑踏のなかを歩きたいと思うのはボクだけでしょうか。

今回観てきたのは、日本の各種の映画興行記録を続々と塗り替えていると言われている「千と千尋の神隠し」。
8月1日は「映画の日」(入場料が1,000円均一)。そのためもあってか、凄い人です。事前に19:10からの入場チケットを入手していましたが、たかお先生から「早く行って、並んでおいたほうがいい」という忠告をいただいており、18:15には茶屋町の三番街シネマ1へ到着。
が、もう遅かった。ビルの5階にあるロビーはすでに人であふれかえっている。その人の多さはボクに開幕したころのJリーグを想い出させてくれました(あの時の熱気と人波はどこへ行ったのでしょう?)。

きらいなタイプの映画ではないのだけど、観終わってすがすがしさが感じられへんなぁ。
映画館を出て駅へ向かうまでの道すがら余韻に浸りながら「いい映画を観たなぁ」と感じたり、電車を降りて家までの道を歩きながら観た映画のことを想い出して、思わずスキップしたくなる、なんてことは無かった。もっとも、そんなことがある映画の方が珍しいのだけど。

それはこの映画があまりにもメッセージ色が強すぎるからではないかな。作り手の肩にぎんぎんの力が入って「どうや、これだけ寓意に満ちたアニメの大作を作ったで!どや、観てみろ」って言っている。
もちろん映画には作り手が伝えたいメッセージがあって当然だと思う。でも、そのメッセージがあまりにも露骨になっていると、観る側としては戸惑ってしまう。演説を聞きに行っているのとちゃうねんから。作り手の意図を理解しようと思うあまり、単純に映画を楽しめない。
物語そのものもいままでの宮崎駿作品にしてはちょっと練り込まれていないと言うか、ちょっと破綻している部分が目に付く。でも、それはあまり気にならないほど、圧倒される画像が迫って来る。

メッセージ色が強過ぎるのは前作の「もののけ姫」のときも感じたこと。「もののけ」での成功に味をしめて(?)、単なる娯楽大作ではなく、何か大層なお題目を唱えて、それをストーリーの中に入れておけば成功間違いなし、って勘違いしたのかなぁ。
「もののけ」では、自然破壊・環境問題と人間社会の発展という、お互いに相容れないものをどう折り合いをつけていくかというのがテーマだったように思う。今回の「千と千尋」では、人間が持つ欲望は程々にしていかないと痛い目に遭うよ「何か忘れてない?“恋は盲目”ならぬ“欲は盲目”。立ち止まって考え直したら」そんなことをハクや湯婆々や川の神様、カオナシ、千の両親などが代わる代わる言ってる。ちょっとうるさすぎるぐらいに。作り手からのメッセージはもっとさらっとしていてもええんとちゃうかな?
設定そのものがファンタジーなんだから、もっと笑わせて、夢を見させてほしかった。語りすぎとちゃうかなぁ。

電車に乗って、湯婆々のお姉さんに会いに(謝りに?)いくくだりは良かった。ボクは千が乗る電車は人間社会の電車で、人間社会に住んでいる者には、こんなに近くにあるのに、この「神の湯治場」は見えないんだと思っていた。
「下りはあるけど、このところ上りはない」戻ってこれるかどうかわからない電車に乗り込む千の勇気に拍手。電車や駅の情景は、どこかあたたかくて懐かしさに満ちてましたね。夜汽車に乗りたくなりました。
千はこれからも湯婆々のお姉さんに紡いでもらった、髪を束ねる紐を手にしては、あちらの世界が夢ではなかったんだと確認するのでしょうね。

数多くの魅力的なキャラクターが登場しているのに、その魅力が全て発揮されてるとは思えません。次回作にはもっと肩の力を抜いて、「外伝」というか、今回は主役になれなかった脇役達を主役にしたオムニバス形式の作品を作っていただきたいですね。ただし、決して押しつけがましくなく、夢に満ちたお話でね。

夏休みが終われば、入場者も落ち着くでしょうから、そしたら平日の最終回にでも出掛けて下さい。

おしまい。