「こころの湯」

ふらっと銭湯へ寄ってみたくなる


  

夕陽をあびながら空港の待合室で搭乗を待っているとき、ふと数十年も前のことを想い出していた。
当時の中学校は下校時間が決まっていて、午後6時には校門を出なければならなかった。ギリギリまで部活の練習をして、道具を片づけて着替えてから時間に間に合うように校門までダッシュする。
校門を一歩外へ出た道路はセーフゾーンだから、多くの中学生たちがこの辺りに固まって、友達が出てくるのを待っている。
ボクは友達が出てくるのを待つふりをしながら、当時気になっていた女の子の姿を探している。暑かったはずなのに、暑かった記憶は全然なくて、泥だらけの顔をタオルで拭きながら、校門まで走ってくる同級生達の姿をひたすら待っていたことしか想い出せない。
その子の姿を見つけても、声を掛けるわけでも、ましてや一緒に帰る訳ではないんだけど、西日を浴びながら一心に待っていた。
やがて彼女がやって来る、その姿を見つけただけで安心して友と語らいながら家路に就いた。
そんなことが幸せな日々やったなぁ。

さて、先週末は東京へ行っていました。会議を終え、一杯飲んで外に出るともう11時過ぎ。意外なことに都心の夜風は大阪よりウンと涼しかった。九段下から一駅、地下鉄に乗らずに、歩いてホテルへ向かいました。
藤田くん、宝蔵くんおつきあいありがとう。田中さん早く元気になって下さいね。

で、翌日観てきたのは中国(大陸)の映画「こころの湯」。大阪ではまだ上映されていない映画です。
会場は日比谷にあるシャンテシネ2。会場に到着したのは上映の30分以上前。しかし、チケット売場の前にはすでに長蛇の列。ビルの外壁を半周してる。さすが東京やなぁ。年齢層は高いよ。ボクでも若いほど。老夫婦って感じの人が多かったね。お土産に「クールバスクリン」をもらいました。

北京の下町で銭湯「清水池」を営む老頭(ラオパン)は、「變臉/この櫂に手をそえて」やNHKのドラマ「大地の子」に出ていたチュゥ・シェイ(朱旭)。この人、凄い存在感。いるだけで、画面が締まる。
「清水池」の界隈は北京でも下町風情が残り「胡同・フートン」(北京で古くからある町屋の建築様式)が立ち並んでいる。しかし、もう間もなく再開発が始まろうとしている。現在の街並みは取り壊され、その跡地に高層建築のアパートが立ち並ぶのだ。
中国で銭湯には行ったことがないし、どんな所か知らなかった。でも、この「清水池」なら行ってみたいな。日本のように大浴場があるだけではなく、アカスリやマッサージ、散髪、爪切りそして「吸玉」というのもある。
地元の人たちで賑わう裸の社交場になっている。
でも、不思議なことにあるのは「男湯」だけで、「女湯」は存在していないようだ。

老頭の息子はすでに成人して家業を継がずに、広東省のシンセンで就職している。もう一人いる弟は知的障害を持ち、父と「清水池」を手伝っている。 弟からハガキを受け取った兄・大明は北京に帰郷する。
何日か家業を手伝い「清水池」へやって来る顔なじみの客や弟・阿明の姿を見るうちに、この街における「清水池」や父親が果たしてきた役割の大きさに気が付く。
お風呂に入って、おしゃべりして、笑い、時には喧嘩をする。清潔で気持ちが良くて、活気があり、時には叱ってくれたり、守ってくれたりするオヤジが居る心地の良い銭湯。
こんな場所は、拝金主義の今の社会ではここを除いたらもうどこにもない。そんなことに大明は気が付く。

「清水池」のような「心のよりどころ」を知らず知らずのうちに無くしてしまったんだなぁ、とふっと淋しくなりました。
感動の必見作品ではないけれど、自分の心が窮屈になってしまった時に、ふと想い出してもらいたい、そんな映画です。

監督は「スパイシー・ラブ・スープ」の監督・張揚(チャン・ヤン)。大明役の俳優さんも「スパイシー・ラブ・スープ」に出演していたそうですが、想い出せませんでした。
関西での上映は未定ですが、近いうちにテアトル梅田で上映されるのではないでしょうか。その時は是非劇場へお出かけ下さい。

おしまい。