「ボクと空と麦畑」

暗い閉塞感が漂う


  

もう真夏やね。
今朝、歩いているとトンボが飛んでいました。赤トンボの乱舞を見に、比良山系の「小女郎カ池」に行きたくなりました。まだ、蝉の鳴き声は耳にしないですが、梅雨を通り越してもう夏に突入したようですね。

さて、今回観てきたのは「ボクと空と麦畑」という英国の映画。会場はアメリカ村のパラダイスシネマ。30名ほどの入りですから、いい線行ってます。と言っても封切り初日の初回やから少ない位ですね。

暗い。
どよよ〜ん、としています。
舞台は70年代のグラスゴー。低所得者用の集合住宅とその周辺。
主人公のジェイムズは12才(でも、もっと幼く見える)。近くに住む友人と水路で遊んでいるうちに誤ってこの友人を水死させてしまう。
でも、不思議なことにこの事故の目撃者とかはいなくて、ジェイムズは罪に問われることもなく、友人の死は事故として処理されてしまう(しかも、彼の死はその後この映画でほとんど触れられない)。

この映画を通して、ジェイムズは果たして成長したのか?
してへんなぁ。
じゃぁ、観ているボクたちに映画の作り手は何を伝えたかったんだろう。
それが解らないし、何も伝わってこなかった。

映画は12才の割には学校へも行かず、毎日ぶらぶらしているだけ(?)のジェイムズと付近の友人が、ストライキの影響で収集されないゴミ袋の山の中で遊んでいる様子を淡々と捉えている。
頭の弱い友人が飼っているハツカネズミ(名前はスノーボール)のしっぽをヘリウムガスの詰まった風船にしばって、月まで旅行させたり、年上の(これまたオツムの弱い?)少女に対する恋心(?)が描かれていたりはするんだけど、ひどく退屈。

家族愛とか優しさとかそんなもの一切を感じさせない、閉塞感が一杯の映画でした。
自分でも、どうしてこんな映画を観てしまったんだろうと不思議。

おしまい。